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【書評】『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子 文春文庫

何という広い世界で生きたのだろう、この子は。読み終えた後、形容しがたい余韻がしばらくの間頭から離れなかった。




 小川洋子の著作「猫を抱いて象と泳ぐ」は、チェスに魅せられた1人の少年の人生を描いた物語だ。主人公、リトル・アリョーヒンは水死体を発見した事をきっかけに、ある回送バスへおもむくこととなる。そこで出会ったのはチェスをこよなく愛する男、マスター。男は少年に秘められた才能をいち早く察し、チェスの世界へと導いてゆく。

 しかしその才能は最後まで表舞台に現れることはない。ただただ静かにその実力を耳にしてやってくる挑戦者とチェスを指し続ける。そして少年の姿から成長することのないまま、リトル・アリョーヒンの生涯は唐突に、しかしやはり静かに幕を閉じる。

 この物語では主な登場人物の本名が一切語られない。代わりに用いられたのがあだ名。描かれる人間関係は、遠ざかることは無いが近寄り過ぎることもない穏やかな距離感を醸しだす。少年の人生の、そして周囲の人間の振る舞いが見せる静けさは、この表現方法だからこそ表れるのだろう。

 リトル・アリョーヒンは行った対局の数に伴い、膨大な数の人と関わった。触れた価値観も多様だったに違いない。その経緯からか生い立ちからか、少年の生き方はあまりに落ち着き過ぎていた。少年独自の純粋さを抱きつつ成熟した人間の器をも兼ね備えたリトル・アリョーヒン。その穏やかさはどんなときも揺るがなかった。選ぶ道によってはもっとよい終わりが待っていたのでは。話の節目に考えを巡らせると少し切ない。だが最後まで自分で選んだ道を歩みきったのだから、きっと本人は満足だったのだ。語られる日常が何よりもそれを証明している。

 少年が少年であるままに終わった物語。もどかしさを感じつつも、小さくあたたかなきらめきを与えてくれる。

(文責:南雲)
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