「東北大学新聞」オープンキャンパス号を配布しました

7月25日、26日に行われたオープンキャンパスにて、「東北大学新聞」オープンキャンパス号を配布しました。
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平成29年度東北大学基金課外活動奨励賞受賞

東北大学学友会報道部は、平成29年度東北大学基金課外活動奨励賞を受賞いたしました。
今年度は20団体が受賞しております。
今後とも学友会報道部をよろしくお願いいたします。

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【復興の今】飯舘村帰村の今 後編

 今年4月、報道部は福島県飯舘村を訪れた。東京電力福島第一原発事故からはや5年が経過した。飯舘村では2017年3月末に帰宅困難地域を除く「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の避難指示が解除される方針だ。最終回となった「復興の今」。今回は飯舘村の比曽地区で農家を営む菅野義人さん(64)の話を取り上げる。




 「これほどの大きな変化は無かった」と震災が起きてからの5年間を菅野さんは振り返る。生きがいだった農業と畜産の全てを失った。失意の中で村民と試行錯誤しながら独自に放射線量の測定をしてきた。しかし村の厳しい現状を前に、帰村を諦める人が出てきた。「5年間あれば、震災で生じた問題は解決できると思った」。震災によって次々と生じる課題は、予想以上に重くのしかかったという。

 菅野さんは飯舘村での災害の本質を「コミュニティの崩壊」と話す。震災以前、飯舘村では先祖代々村民が一丸となって農業や畜産、さらには草刈りなどを行ってきた。日常的に村をより良くするための議論が行われ、新たな課題を見つけては一つひとつ克服していった。「助け合うことが当たり前」という文化が村民に根付いていたのだ。しかし震災による原発事故はその文化を分断してしまった。村民のなかで帰村の意思にバラつきが生じ、村に共通する認識は失われてしまった。「国の賠償では償えない大切なものを失った」。菅野さんは悔しさを滲ませる。

 そんな中で菅野さんは一つの覚悟をした。避難指示解除後にも飯舘村に住むことを決め、先祖から受け継いできた築100年の家屋を改装したのだ。飯舘村は天明の飢饉(1783~87年)により多大な被害を受けた。当時比曽には91戸の住宅があったが、飢饉を終えて残ったのはわずか3戸。そのうちの1戸は菅野さんの先祖だ。飢饉を乗り越え現代に受け継がれた先人の思いは、菅野さんが帰村を決める契機となった。「最初は農業、次いで畜産と、段階を踏んでいきたい」と菅野さんは意気込む。

 菅野さんが復興に向けて最も重視しているのは「村民の生活と行政のリンク」だ。「今までの補助金の使い方では復興はできない」と菅野さんは指摘する。基本的な復興政策では、国が補助金の使い道を指定し各市町村へ配分する。しかしそれでは村民の内情が政策に反映されず、村と行政の間ですれ違いが生じてしまう。まず当事者である村が補助金の使い方を協議し、行政に提示する。行政はその意向をなるべく加味して補助金を配分する。このように、村と行政とが双方的に計画を進めていくのが復興への第一歩だという。

 ただ、5年という月日は菅野さん自身にも様々な問題をもたらしている。農業を続けようとしても体力は衰えていくばかり。震災により家族がバラバラになったため、仕事を引き継いでもらうことも難しい。時間が経てば経つほど課題の解決は難しくなっていく。それでも菅野さんは復興への努力を惜しまない。「自分にできることは何か考える」。そう話す菅野さんの目は力強かった。

 最後に菅野さんは本学学生に向けて「色々な勉強をして引き出しをたくさん作るべきだ。そうすれば様々な問題意識を持つことができる」と話してくれた。今回の飯舘村訪問を通して、多くの人が考えているほど復興は容易でないことを実感した。5年経った今だからこそ、私たち学生は様々な視点からもう一度震災を見つめなおし、未来へ活かせるような問題意識を培う必要がある。
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