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【書評】『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹 文春文庫

 人はだれしも思い出したくない嫌な過去を持つ。引退試合で散々な負けを喫してしまった過去、好意を抱いていた人に振られてしまった過去、仲の良かった友人とひどい喧嘩をした過去。




 そのような経験をすると、我々はそれらをさまざまな方法で処理していく。ある時は「つらかったけれど懐かしいもの」と(無理やり)片付けたり、また時として嫌なもののまま、心の中のしこりになったりする。ただその過去が背負い続けるには重すぎるほどつらい時、あるいは我々は次のような手段を選ぶ場合がある。

 本書の主人公、多崎つくるは大学2年生の夏に4人の友人から縁を切られるというつらい経験をしている。つくるを含めた5人は高校生からの仲良しであり、「一人多くても少なくても成り立たない程に完全に調和された」一心共同体であった。

 仲良しの4人から何の前触れもなくいきなり縁を切られてしまった。当然のことながらつくるは絶望の淵に追いやられてしまう。そして彼は十数年間その嫌な過去をなかったことのようにする。もちろん事実をなくすことは実際にはできないが、彼の記憶の中において極力忘れようと努めたのである。

 嫌な過去をなかったかのようにすること―いわば記憶の隠蔽(いんぺい)は誰しも一度は経験したことがあるだろう。それは我々の心に一時的かもしれないが平穏をもたらす。つらい記憶から遠ざかることによって。それは事実だ。

 しかし――この文脈で言いたいことはすでに伝わっているかと思うが――記憶の隠蔽はあくまで一時的な付け焼刃に過ぎない。どんなに忘れようと努力をしても、自分の心をごまかしても、記憶は小さな穴が開けられた瓶の中の蜂蜜のようにじわじわと意識の床に垂れてくる。

 嫌な過去にはどう対処すればいいのか、本書に問いかけてみてほしい。多崎つくるは苦しい過去を忘却の瓶の中に押し込めただけでは終わりにしなかった。むしろ物語はそこから始まるのである。
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