【突撃! 隣のとんぺー生】(1) 工学研究科修士2年・宮﨑 幸辰 さん ~狙い定め身体を調整~
https://ton-press.blogspot.com/2018/12/1-2.html?m=0
今月号から始まる新企画「突撃! 隣のとんぺー生」では、身近な東北大生の素顔に迫っていく。第1回目は、今年9月6日から9日にかけて神奈川県川崎市等々力陸上競技場で行われた全日本インカレ男子100メートルで2位入賞を果たした、本学学友会陸上競技部・宮﨑幸辰さん(工・修士2)。日々の研究や就職活動がある中、陸上で好成績を収めた宮﨑さんの強さの源はどこにあるのか。今回のインタビューでは、大会を終えての感想やこれからの目標について話を伺った。
―全日本インカレの感想について
今はうれしさ半分、悔しさ半分ですね。うれしかったのは、オリンピアンである関西学院大の多田修平選手に勝てたことです。今まで同じ組で走ってきたことはあるのですが、なかなか勝つことはできませんでした。今回は短い調整期間で自分の思うような走りができ、また学生最後のレースで、ビッグネームに勝てたのでよかったです。
―どのような点で悔しさが残ったのですか
タイムに関してです。決勝で出した10秒35は、2年前の自己ベストと同じ記録でした。気象条件も良く、自分の中で完成されたスピードが出せたと思っていたので、タイムを見てこれが自分の限界なんだなと思いました。また、自分の感覚では、1位の選手からはだいぶ離されていたので、越えられない差を感じました。
―研究と両立しながら陸上でも結果を残すその強さについて、自分ではどう考えていますか
調整力にはとても自信があります。狙ったレースでは、百発百中で良いタイムが出せると思います。そのために必要なのは、「自分のことを深く知ること」です。
研究室では立ち作業が多く、1日に8時間も立っているようなことがあり、学部生のときに比べて疲労がたまるようになりました。それでも、自分の体調と相談しながら、「最大限のパフォーマンスをするにはどうしたらいいのか」を考えて、より高度な調整を心がけています。
―具体的にはどのような調整を
例えば、疲労がたまる前の朝に練習したり、練習場所も、お金はかかりますが、設備のいい競技場を使ったりしています。また疲労具合に合わせて、その都度練習日を変えるようにしています。親には「こだわりすぎ」とあきれられるほどでしたが、今回の全日本インカレでは「感動した。よく頑張った」と言ってくれました。
―大学の陸上で一番印象深かったことは何ですか
1年半という長いスランプに陥ったことです。怪我をしたわけではないのですが、3年生の時にフォームが変わってしまい、思うように走れなくなりました。スランプを脱出したのは4年生の6月です。
―何がきっかけでスランプを抜け出せたのですか
高校時代の恩師の先生の言葉です。それまでのプライドを思い切って捨て、母校に帰りその先生に一から教えてもらいました。急激に記録が伸びた高校3年生の時に出会った先生なのですが、一言二言助言をもらっただけで、すぐに元のフォームに戻すことができました。
また、良い悪い関係なく、自分の走りの特徴を全て挙げたことで、「どうして自分が速いのか」の原理を、陸上を始めて10年目にして初めて理解しました。「自分のことを深く知ること」。今回のスランプは、陸上だけでなく、自分の人生観にも大きく影響しました。
―本学大学院工学研究科応用科学専攻の宮﨑さん。普段はどのような研究を
スマートフォンのような身近な電化製品の熱を引き出して、電気に変換させる研究をしています。そこで注目しているのが、ナノ粒子です。まだ研究の進んでいないナノ粒子を材料に、抵抗率の低い、かつ、電気と熱が効率良く作用する電化製品ができないかと模索しています。
―これからの目標を教えてください
内定した輸送機器メーカーで、自分が陸上で果たせなかった日本一になれるような製品を作れたらと思います。「走りは作品」と考えているので、世界へ向けた、効率の良い自動車を作り上げたいです。
また陸上では、自分は走りませんが、個人的に走りのアドバイスはしたいと考えています。その人の体の特徴を見て個別に指導できれば、誰でも速く走れるようになると、私は思います。私が恩師の先生としたような、運命的な出会いができるとうれしいです。
―全日本インカレの感想について
今はうれしさ半分、悔しさ半分ですね。うれしかったのは、オリンピアンである関西学院大の多田修平選手に勝てたことです。今まで同じ組で走ってきたことはあるのですが、なかなか勝つことはできませんでした。今回は短い調整期間で自分の思うような走りができ、また学生最後のレースで、ビッグネームに勝てたのでよかったです。
―どのような点で悔しさが残ったのですか
タイムに関してです。決勝で出した10秒35は、2年前の自己ベストと同じ記録でした。気象条件も良く、自分の中で完成されたスピードが出せたと思っていたので、タイムを見てこれが自分の限界なんだなと思いました。また、自分の感覚では、1位の選手からはだいぶ離されていたので、越えられない差を感じました。
―研究と両立しながら陸上でも結果を残すその強さについて、自分ではどう考えていますか
調整力にはとても自信があります。狙ったレースでは、百発百中で良いタイムが出せると思います。そのために必要なのは、「自分のことを深く知ること」です。
研究室では立ち作業が多く、1日に8時間も立っているようなことがあり、学部生のときに比べて疲労がたまるようになりました。それでも、自分の体調と相談しながら、「最大限のパフォーマンスをするにはどうしたらいいのか」を考えて、より高度な調整を心がけています。
―具体的にはどのような調整を
例えば、疲労がたまる前の朝に練習したり、練習場所も、お金はかかりますが、設備のいい競技場を使ったりしています。また疲労具合に合わせて、その都度練習日を変えるようにしています。親には「こだわりすぎ」とあきれられるほどでしたが、今回の全日本インカレでは「感動した。よく頑張った」と言ってくれました。
―大学の陸上で一番印象深かったことは何ですか
1年半という長いスランプに陥ったことです。怪我をしたわけではないのですが、3年生の時にフォームが変わってしまい、思うように走れなくなりました。スランプを脱出したのは4年生の6月です。
―何がきっかけでスランプを抜け出せたのですか
高校時代の恩師の先生の言葉です。それまでのプライドを思い切って捨て、母校に帰りその先生に一から教えてもらいました。急激に記録が伸びた高校3年生の時に出会った先生なのですが、一言二言助言をもらっただけで、すぐに元のフォームに戻すことができました。
また、良い悪い関係なく、自分の走りの特徴を全て挙げたことで、「どうして自分が速いのか」の原理を、陸上を始めて10年目にして初めて理解しました。「自分のことを深く知ること」。今回のスランプは、陸上だけでなく、自分の人生観にも大きく影響しました。
―本学大学院工学研究科応用科学専攻の宮﨑さん。普段はどのような研究を
スマートフォンのような身近な電化製品の熱を引き出して、電気に変換させる研究をしています。そこで注目しているのが、ナノ粒子です。まだ研究の進んでいないナノ粒子を材料に、抵抗率の低い、かつ、電気と熱が効率良く作用する電化製品ができないかと模索しています。
―これからの目標を教えてください
内定した輸送機器メーカーで、自分が陸上で果たせなかった日本一になれるような製品を作れたらと思います。「走りは作品」と考えているので、世界へ向けた、効率の良い自動車を作り上げたいです。
また陸上では、自分は走りませんが、個人的に走りのアドバイスはしたいと考えています。その人の体の特徴を見て個別に指導できれば、誰でも速く走れるようになると、私は思います。私が恩師の先生としたような、運命的な出会いができるとうれしいです。