【特別インタビュー・告知】「ニホンジン」ボーカル・エムサイズ佐久間さん ~東北の魅力を発信~
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ダツプロダクション所属のポップスバンド「ニホンジン」のボーカルを務める、エムサイズ佐久間さん。本学でニホンジンの前身となるバンド「リーベンレン」を2008年に結成。卒業後も13年に「ニホンジン」と名を変えて仙台を拠点に活動を続け、今年活動5周年を迎えた。楽曲以外の場面ではパフォーマンス集団「劇団ニホンジンプロジェクト(以下、ニホプロ)」とのメンバーとしての役割をこなす。ライブで表舞台に出るほか、動画作成やプロデュース活動を展開している。さらに、ニホンジンで「東北観光親善大使」に任命され、宮城の魅力の発信にも精力的だ。そんな佐久間さんに話を伺った。
―活動5周年を迎え、どんなことをしているか
16年に8000人を動員したアリーナライブ以降は、各メンバーの個性を生かしたことに取り組む活動へとシフトさせました。私個人としては、今年9月の「ひとり昭和歌謡祭」というホールコンサートの構成や脚本を練っていました。新しいことに取り組み、培ったものを生かせるので楽しかったです。
―佐久間さんは教育学部出身。大学ではどのように過ごしていたか
振り返ると勉強やサークル活動でせわしなく過ごしていました。もともと教員になりたくて教育学部に入ったのですが、音楽も大好きだったので軽音楽部でのバンド活動にも精力的に取り組みました。卒業論文がなかなか書けず悩みましたが、学部教務係や先生、所属事務所の皆さんの温かい協力があり、やっと今年3月に卒業することができました。
―リーベンレン時代はどのように活動していたか
リーベンレンは軽音楽部フィーリン・フリーに入部した時に結成したバンドで、当時のドラムのメンバーとその友人、というつながりで組みました。ポップスのバンドが少なかったためか周囲からは異質なバンドだなとみられていたように思います。2年生になったあたりから自分たちで作詞作曲をしてオリジナル曲を歌うようになりました。
―デビューが決まった時のエピソードを
11年5月に教育実習に行っていた時に見たことがない長文のメールを受け取りました。それが事務所の社長(ニホプロのMr.ボス)からいただいたプロデビューを共に目指す誘いで、教員になることを本格的に目指していた中だったので驚いたことを覚えています。このオファーを受け、やれるならこれからもバンド活動できたらいいなと思うようになり、メンバーと話し合い事務所への所属を決めました。これを機に、私とベースのペンション佐々木、ギターのリュックサック今井(昨年脱退)の3人で活動することになりました。
―契約から13年のデビューまでにどんなことがあったか
最初は曲を作りまくり、12年末には月に20回のライブをこなしていました。どちらも「修行」でしたが、やれることを全力でやるしかないと思っていましたね。この頃からMr.ボスの導きは本当にありがたく感じていました。
―デビュー後はライブ会場を大きくしていきながらライブを繰り返した。ライブで感じたことは
お客さんがすごいペースで増え、応援の声をかけてもらえるようになり、今思えばそれが少しずつ自信になっていったと思います。16年のアリーナライブの終わりに紙吹雪が舞っていた時、ふと周りを見渡すと喜んでいる人がいっぱいいることに気づいて、「みんなの力でここまでやれたんだな」ととても感動しました。
―宮城県出身で県白石高卒業の佐久間さん。東北について感じていることは
本格的な活動は東日本大震災の後ということもあり、イベントに来てくれた皆さんの一人ひとりにお会いし会話していくと、それぞれがいろんな事情を抱えているなと感じました。それでも「音楽やイベントが活力になる」と言ってくださっていてすごくうれしいですね。自分たちは音楽やイベントで楽しい思い出を提供できればいいなと思っていて、その想いや出会いの輪がどんどんと広がっていけばいいなと思います。
―東北大の好きなところは
学食の豚バラの揚げ煮丼が好きでよく食べていました。キャンパスもきれいですがすがしい印象ですし、サークル活動が盛んなところもいいなと思います。
―佐久間さんにとってニホンジンやニホプロとは
ニホンジンは自分の力をできる限り注ぎ込んだ大切なものです。ニホプロは「船」のようなものだと思っています。ニホプロとしての活動を通して、さまざまな人の支えがあって成り立っているのだなと分かりましたし、応援してくれる皆さんもメンバーも家族みたいなものだなと思っています。
―東北大生に向けてメッセージを
とにかく充実した大学生活を送ってほしいです。ニホンジンは12月28日に仙台市青葉区のdarwinで5周年記念ライブを行います。ニホンジンとしてライブを行うのは久しぶりなので、今できることを精一杯詰め込もうと思います。ぜひ一度遊びに来てもらえたらうれしいです!
―活動5周年を迎え、どんなことをしているか
16年に8000人を動員したアリーナライブ以降は、各メンバーの個性を生かしたことに取り組む活動へとシフトさせました。私個人としては、今年9月の「ひとり昭和歌謡祭」というホールコンサートの構成や脚本を練っていました。新しいことに取り組み、培ったものを生かせるので楽しかったです。
―佐久間さんは教育学部出身。大学ではどのように過ごしていたか
振り返ると勉強やサークル活動でせわしなく過ごしていました。もともと教員になりたくて教育学部に入ったのですが、音楽も大好きだったので軽音楽部でのバンド活動にも精力的に取り組みました。卒業論文がなかなか書けず悩みましたが、学部教務係や先生、所属事務所の皆さんの温かい協力があり、やっと今年3月に卒業することができました。
―リーベンレン時代はどのように活動していたか
リーベンレンは軽音楽部フィーリン・フリーに入部した時に結成したバンドで、当時のドラムのメンバーとその友人、というつながりで組みました。ポップスのバンドが少なかったためか周囲からは異質なバンドだなとみられていたように思います。2年生になったあたりから自分たちで作詞作曲をしてオリジナル曲を歌うようになりました。
―デビューが決まった時のエピソードを
11年5月に教育実習に行っていた時に見たことがない長文のメールを受け取りました。それが事務所の社長(ニホプロのMr.ボス)からいただいたプロデビューを共に目指す誘いで、教員になることを本格的に目指していた中だったので驚いたことを覚えています。このオファーを受け、やれるならこれからもバンド活動できたらいいなと思うようになり、メンバーと話し合い事務所への所属を決めました。これを機に、私とベースのペンション佐々木、ギターのリュックサック今井(昨年脱退)の3人で活動することになりました。
―契約から13年のデビューまでにどんなことがあったか
最初は曲を作りまくり、12年末には月に20回のライブをこなしていました。どちらも「修行」でしたが、やれることを全力でやるしかないと思っていましたね。この頃からMr.ボスの導きは本当にありがたく感じていました。
―デビュー後はライブ会場を大きくしていきながらライブを繰り返した。ライブで感じたことは
お客さんがすごいペースで増え、応援の声をかけてもらえるようになり、今思えばそれが少しずつ自信になっていったと思います。16年のアリーナライブの終わりに紙吹雪が舞っていた時、ふと周りを見渡すと喜んでいる人がいっぱいいることに気づいて、「みんなの力でここまでやれたんだな」ととても感動しました。
―宮城県出身で県白石高卒業の佐久間さん。東北について感じていることは
本格的な活動は東日本大震災の後ということもあり、イベントに来てくれた皆さんの一人ひとりにお会いし会話していくと、それぞれがいろんな事情を抱えているなと感じました。それでも「音楽やイベントが活力になる」と言ってくださっていてすごくうれしいですね。自分たちは音楽やイベントで楽しい思い出を提供できればいいなと思っていて、その想いや出会いの輪がどんどんと広がっていけばいいなと思います。
―東北大の好きなところは
学食の豚バラの揚げ煮丼が好きでよく食べていました。キャンパスもきれいですがすがしい印象ですし、サークル活動が盛んなところもいいなと思います。
―佐久間さんにとってニホンジンやニホプロとは
ニホンジンは自分の力をできる限り注ぎ込んだ大切なものです。ニホプロは「船」のようなものだと思っています。ニホプロとしての活動を通して、さまざまな人の支えがあって成り立っているのだなと分かりましたし、応援してくれる皆さんもメンバーも家族みたいなものだなと思っています。
―東北大生に向けてメッセージを
とにかく充実した大学生活を送ってほしいです。ニホンジンは12月28日に仙台市青葉区のdarwinで5周年記念ライブを行います。ニホンジンとしてライブを行うのは久しぶりなので、今できることを精一杯詰め込もうと思います。ぜひ一度遊びに来てもらえたらうれしいです!