【とんぺー生の夏休み2023】散文部門 最優秀賞 『2023年の君へ』バルクイ
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今年で第5回となった報道部による作文コンクール「とんぺー生の夏休み2023」(実行委員会主催)は、短歌部門の最優秀賞に日野原やえさんの句、散文部門の最優秀賞にバルクイさんの『2023年の君へ』をそれぞれ選出した。名前はそれぞれペンネーム。散文部門の最優秀賞の作品全文を掲載する。
散文部門 最優秀賞『2023年の君へ』バルクイ
拝啓
「教授、サイボーグ化した左腕の調子はいかがですか」
「ああ、先日のメンテナンスですこぶる良好だよ。さて、」
「教授、
「続けるぞ、タチバナくん。君が三年と半分を終えて修得した単位はいくつだ」
「120です」
「卒業に必要な単位は?」
「480です」
俺がそう答えて教授がついたため息は、窓から逃げ出すかわりにまた教授室のスモッグとなった。先客のスモッグたちはオレンジ系統で、そこに加わる新米は藍に近かったから合流するや黒っぽくなって、それを見た俺は朝に口へ入れたバーを思い出した。コーヒーがほしくなったが、あいにく苦味は足りている。
「未修得単位の中に私の講義が20単位分もあるじゃないか。それにNSCEもまだ取れていない。どうしているんだ」
「ああ、Nature Science Comprehensive Experimentsですか。あれはテキストブックをウシゴエRiv.に沈めました。これからのリン酸濃度計測を考察する際に役立つはずです」
「お前を沈めるぞ」
まだ処置を施していない教授の顔面は、右目の下にある腫れぼったいほくろを揺らしながら、右脚と腰とそれから最新たる左腕の金属具合より凄みを増していた。人口の低減化で長く働く必要があるからがその理由で、内臓も仲間外れではない。リン酸値に影響が、と言おうとしたが、俺の水葬を実現するだけの腕力があるのは事実だった。
「何度ダブる予定だ? 一年ごとに2万ドルかかるんだぞ」
「よしてください。そりゃ四つ葉探しで一日潰したこともあったけど、今年で卒業のつもりです」
「なるほど。で、何度だ」
「今年で卒業です」
スモッグが増えた。今度は緑だ。どんな原理で排出される色が変わるかは文学専攻の俺にはわからない。
「どうなるにせよベストは尽くすべきだ。私の20単位はなるべく負担のないようにしてやる。シャープペンシルを握ったことは?」
「エレメンタリースクールの文化の授業で一度」
「少し苦労すると思うが我慢したまえ。一挙20得点だ。これが済めば卒業は近づくんだからな」
詳しくは後に通達すると言われ、私は教授室を出ることになった。出る直前、教授が「それから」と声をかけてきた。
「君の気持ちもわかる。それでも、だ。同じ気持ちを抱える者が大学にいると思って、できることから励みたまえ」
その声を聞いて俺は、そういえば教授の肺こそはチタンだけれど、喉は何も施していないことを思い出して、一礼して今度こそ教授室を出た。
◇ ◇ ◇
せっかくキャンパスに来たのだから学食に行く。10ドルを払って受け取ったプレートには、色とりどりのペーストが乗せられていた。白が一番大きい枠の中に入れられ、次に大きい枠に緑、一番小さい枠に赤、黄、紫が陣取り、スプーンですくって食べるのだ。感想? 離乳食はきっとこんな感じだろう。
先ほど端末に教授から、課題の内容と必要になる物品が届いた。タップすると、薄くペラペラとした、表面の指触りはスルスルと滑らかな、白色の製品だった。
『この紙を用いて手紙を書き、時空転送で2023年の現在地に送りなさい。内容は指定しない』
百年も前といえば、この島国がアメリカの州となる前で、空気中の二酸化炭素濃度も今よりずっと高く(減少へ転換する前は世界地図にミクロネシアというエリアが存在していたそう)、ウイルスが流行っていたらしい。移動手段も空間転送ではなくガソリン燃料に頼る代物で、講義はいちいち大学に足を運ぶ——一時はその必要もなかったそうだが——そんな時代だったはずだ。
俺は時空転送に頭を突っ込みたくなった。手元の端末から起動できるが、転送に閲覧が入るし、第一人体の大きさと生命反応を示す物体は転送されない。ペーストをかき込んで平らげる。ごちそうさん。プレート射出機のAIに手をかざして、手紙の中身を練ることにした。
紙は普段の日常で使われないとはいえ、図書館等で見かけることがある。ただそれに書くとなると十年前に一度きり体験した動作をもう一度思い出す必要があり、まあ時間がかかるだろう。裏を返せば時間をかければよい。そう、内容が決まっていれば。ここで書いたものを時空転送のない時代に送っても鵜呑みにされて影響を及ぼすことは滅多にないからその点の心配はない。百年前も電子メールは存在していたが今とは形式が違い、直接、時空転送した方が手っ取り早いそうだ。宛先も特に指定せず、どこぞに落ちて誰かがそれを拾えば読まれるといいし、そうでなくとも生分解素材で作られているからやがて消えるそうだとも。
「あっ」
「あっ」
学食を出ると、鉢合わせた。昨年のゼミミーティングで、ホログラムを通して顔を合わせたゼミの同期A。齢二十と少しで、百倍の歴史を誇る日本文学はおろか、アメリカに吸収された日本についてさも万物を知ったようにのたまっていたゼミの同期A。
「タチバナくんも学食か」
「ああ」
「君も図書館にいたのか?」
「え、いや」たしかに、電子図書では物足りず紙の本を求めて図書館に来る奴らはいる。
「……ああ、そうか」
Aはニヤリとしくさった。キャンパスに来る学生は教授にお呼ばれか図書館マニアの二択だからだ。
「僕はもう卒業単位は取り終えたよ」聞いてもないのに教えてくれやがる。
「厳密には卒業研究が残っているけど、まあうまく行くさ。でもうらやましいね。先生にお目をかけてもらえるなんて」
「今日の学食は絶品だ。とっとと行けよ」
「いやね。真面目にやってればできるさ。同期のよしみでアドバイス。もっとも、事実しか伝えてないけど」
「聞こえなかったか。さもないと学食にしてやるぞ」
ひひひ、とAは学食に飛び込んでいった。ろくなもんを食っていないからああいうタチの輩になりやがる。
真面目。真面目ねえ。
◇ ◇ ◇
ウン光年離れたフォーマルハウトへの旅路が可能となっても、ついぞ理想した大学生活に俺はたどり着けなかった。
俺の理想といえば、百年前はおろか、それよりいささか前の時代になるかもしれない。その頃を表す小説を読んだんだ。家賃は周りの家々より少し安く、そんなに広くない——当時でいえば4畳半という表記——自分の城でごろごろして、ふらっとユニバーシティに足を運び、それ以外は本屋、または友のうちで酒を飲み交わすのだ。たまに単位を落としても挽回は効くし、仮にダブっても珍しくなく、太陽の光が自分の周りを漂う空気の流れを緩めてくれる日々を、エンガワに座って過ごすのさ。ところが時代は、ランニングマシーンの上で随分あくせくしてるときた。リノリウムに代わる真新しい特殊プラスチックが肺を健全的に侵しているし、講義も研究もそんな自宅で完結するからユニバーシティには、よほど大事な用で教授に呼び出される以外では片手で数えるくらいしか訪ねたことがない。ドランクしてくれる学友もいなければドランクするための酒もない。でも留年率は両手両足の指、それから俺の骨の数を足してもまだ一人にも至らないし、みんな単位をきっちり集めて、同期がマリオなら4機増えている。
時代と環境のせいに全てはしないが、それでも理想と現実の間に渡された糸鋸は、どうやら確実に俺のモチベーションを削ってくれたようだ。
まあ、そういうことだから、ダブるなんて恥ずかしい真似はよしてくれよ。百年前の弊大学生どの。
敬具
◇ ◇ ◇
後はこれを時空転送に入れ込めば課題が完了する、と俺は部屋でくつろいでいた。
内容は何を書いても構わないから、こんなのもありだろう。ダメなら設題者が悪い。
俺は手紙を畳み、付属の同じく白い封筒に入れた。こいつで20単位が一挙に報われる。
そう思って手紙を時空転送に入れようとした時に手が止まった。
百年前の彼らが、俺のような理由でダブりかけなかった保障がない。
過去の世界を崇拝する行為が、この時代の人間だけが行うわけがない。
……………………。
俺はため息をついた。色は透明。ここは教授と似ていない。そして、手紙を破るという愚行も、教授がするわけない。
くそったれな矜持を孕んじまった俺は20単位を逃すことになる。いや、逃すことにした。20単位一挙得点が卑怯に思えたからではなく、書いた中身が気に入らなかった。そんな理由で。
これまでの俺は世渡りもうまくなく要領もなかった。それはたった今も証明したし、これからも予想されるだろう。ただ、自分の中にくだらないプライドがあることもまた事実であるようだ。
それから、教授に土下座のうまさを証明しなくてはならないようだ。今から練習を積んでおこう、と頭を床につけた際に股下をのぞくと、破れた手紙は時空転送に吸い込まれていった。
まあ、読まれることはないし放っておくか。
◇ ◇ ◇
不思議なもので、草むらに落ちていた紙の切れ端を全て回収してつなぎ合わせていたら、一日が終わっていた。
現れた文面を、目の下のほくろをいじりながら読んでみると、やはり一日の費やしは無駄であった。概ね暇な同大学の誰かが書いて破り捨てたのだろう。私も、ダブりの窮地に瀕している現状でこんなことをしている場合ではない。
コロナ、オンライン、理想の大学生活とやさぐれているうちに大学生活が終わりそうだ。まだ帝国大学時代の方がのびのびやれそうだったが、この名も知らぬ親近感を感じるなにがしと同じ轍を踏むわけにはいかないので、二ヶ月遅れのレポートから手をつけることにした。