【秒撮】会津若松城~加藤明成と堀主水の対立~
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会津騒動で改易となった加藤家。騒動は、藩主・明成と家老・堀主水の対立によって生じた。
「賤ケ岳の七本槍」に数えられる先代の嘉明に重用された主水であったが、子の明成との関係は冷え込んでいた。こうした中、主水は会津藩の政庁であった鶴ヶ城に向けて発砲し、一族郎党を率いて出奔した。
古来、俗世の法に縛られないと知られる紀州高野山に身を寄せた主水であったが、幕府に主水の非を訴え出た明成の元に引き渡されそうになる。それを知った主水は、逆に明成の悪政を幕府に訴え出る。しかし、主水の身柄は明成に引き渡され、遂には処刑された。
一方、明成も所領の返上を幕府に申し出、加藤家は改易される。代わりに会津に転封されたのは将軍・家光の異母弟、保科正之であった。
後世では評価の分かれる明成だが、5層の天守閣を建て、出丸を増築し現在の鶴ヶ城の姿を整えたのは彼の功績である。現在の天守閣は幕末の動乱で取り壊され、後に再建したものであるが、その雄大さは明成時代から受け継がれている。