【シンポジウム】女子学生入学100周年記念シンポジウム 「リケジョの100年から未来の女性リーダー育成に向けて」
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本学が日本で初めて女子学生を受け入れてから、今年で100周年の節目を迎える。これを記念するシンポジウムが8月8日、川内北キャンパスにて開催された。「リケジョの100年から未来の女性リーダー育成に向けて」と題され、リケジョ(理系女子)の活性化に向けた議論と、本学の男女共同参画推進についての検討がなされた。
ディスカッションにおいて、政策研究大学院大学の黒川清アカデミックフェローが「ビジネス・政治のあり方が変化している中で女性の活躍は不可欠だが、日本の社会は世界的に遅れている」と指摘。また、本学理学部の出身で、世界初の裸眼3Dテレビの開発に貢献した東芝の福島理恵子さんは「女性が育児後も職場に復帰できる制度だけでなく、男性が安心して育児休暇をとれる体制も必要」と語った。東北大学サイエンスエンジェル(※1)で本学大学院生命科学研究科の高橋さやかさんは「偉大な先輩方が築いた道を発展させて、『リケジョ』という言葉が意識されなくなる社会を目指したい」と抱負を述べた。
本学の男女共同参画の歴史に関する講演では、元東北大学教授で現明治大学の辻村みよ子教授が「東北大学は三たび、日本の先駆けになるべき」と強調した。
教授が言う第一の先駆けとは、本学が1913年に日本で初めて女子学生を受け入れたことである。大学は男子学生のための場だという認識があったにもかかわらず、建学理念の一つ「門戸開放」にのっとり女子学生を受け入れたことは、女性研究者の道を開くきっかけとなった。第二の先駆けとは、2001年以降の「男女共同参画委員会」開設をはじめとし、女性研究者に対する支援を充実させたことである。
そして、教授が思いを馳せる第三の先駆けとは、学術分野になお残存するジェンダー・バイアスをなくすため、本学が主導に立って呼びかけることである。学術分野において女性研究者の比率は上昇しているとはいえ、そのスピードは遅すぎるという。研究者が問題を科学的に解明し、ポジティブアクション(積極的是正措置)を進めていくことが大学の役割であると辻村教授は述べる。
本学が女子学生を受け入れてから100年。社会は男女共同参画へ大きく進展したといえど、なお課題は残る。「先駆け」としての本学の役割に、期待がかかる。
〈脚注〉
(※1)次世代の研究者を目指す中高生に科学の魅力を伝えるために集まった、東北大学の自然科学系女子大学院生。本学の「杜の都女子研究者ハードリング支援事業」の取り組みの一環である「次世代支援プログラム」により誕生した。
ディスカッションにおいて、政策研究大学院大学の黒川清アカデミックフェローが「ビジネス・政治のあり方が変化している中で女性の活躍は不可欠だが、日本の社会は世界的に遅れている」と指摘。また、本学理学部の出身で、世界初の裸眼3Dテレビの開発に貢献した東芝の福島理恵子さんは「女性が育児後も職場に復帰できる制度だけでなく、男性が安心して育児休暇をとれる体制も必要」と語った。東北大学サイエンスエンジェル(※1)で本学大学院生命科学研究科の高橋さやかさんは「偉大な先輩方が築いた道を発展させて、『リケジョ』という言葉が意識されなくなる社会を目指したい」と抱負を述べた。
本学の男女共同参画の歴史に関する講演では、元東北大学教授で現明治大学の辻村みよ子教授が「東北大学は三たび、日本の先駆けになるべき」と強調した。
教授が言う第一の先駆けとは、本学が1913年に日本で初めて女子学生を受け入れたことである。大学は男子学生のための場だという認識があったにもかかわらず、建学理念の一つ「門戸開放」にのっとり女子学生を受け入れたことは、女性研究者の道を開くきっかけとなった。第二の先駆けとは、2001年以降の「男女共同参画委員会」開設をはじめとし、女性研究者に対する支援を充実させたことである。
そして、教授が思いを馳せる第三の先駆けとは、学術分野になお残存するジェンダー・バイアスをなくすため、本学が主導に立って呼びかけることである。学術分野において女性研究者の比率は上昇しているとはいえ、そのスピードは遅すぎるという。研究者が問題を科学的に解明し、ポジティブアクション(積極的是正措置)を進めていくことが大学の役割であると辻村教授は述べる。
本学が女子学生を受け入れてから100年。社会は男女共同参画へ大きく進展したといえど、なお課題は残る。「先駆け」としての本学の役割に、期待がかかる。
〈脚注〉
(※1)次世代の研究者を目指す中高生に科学の魅力を伝えるために集まった、東北大学の自然科学系女子大学院生。本学の「杜の都女子研究者ハードリング支援事業」の取り組みの一環である「次世代支援プログラム」により誕生した。