【一言居士】ー2023年7月ー
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「楽しくほっこりするだけではなく、時には簡単に答えを出さず、対立したまま別れることができる公共空間がほしい」▼日本文学者のロバート・キャンベル氏の言である。「それいいよね」という根拠なき安易な共感は、時として健全な対立までも封じ込めてしまいはしないか▼意見の対立を避けるため、もしくは一つの意見に集約しようとするがために、私たちはしばしば共感を「使う」。他者と分かり合えないままでいることへの恐れが、私たちを対立から遠ざけている▼哲学者の鷲田清一氏は著書で「摩擦への耐性」を説いている(『社会の壊れる時―知性的であるとはどういうことか』)。「摩擦」を消去して一つの考え方にならしていこうとする社会は、その生命を失ってしまう、と▼不通に対する寛容さを育む空間に、大学はなっているだろうか。いま一度考えてみたい。摩擦への耐性を身につけ、対立を普通に思えたら、今より少しだけ良い方向に進む気がする。書いていて気づいた。「不通の普通」。奇しくもどちらも「ふつう」である。 (文責・鈴木)