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【復興の今】飯舘村 帰村する人 前編

 3月11日。6年前に東日本大震災が起こった。この日は、被災者の方々だけでなく、日本に住んでいる人すべてが思うことのある1日であろう。この6年という歳月は私たちにどのようなことを考えさせたのだろうか。






 先月号では被災地を外から見る、というコンセプトで河北新報防災・教育室と災害科学国際研究所にインタビューを行った。今月号と来月号では被災地に実際に出向いてインタビューを行い、震災から6年がたった現場の「今」を伝える。

 今回取材に向かった場所は福島県飯舘村。飯舘村は地震の揺れによる被害のほか、東京電力福島第一原発事故によって、深刻な放射能汚染を受けた。

 飯舘村は今年3月に帰宅困難区域を除いて避難指示が解除された。しかし、村に戻ってくる人の人数は決して多くはない。避難によって飯舘村の人々が持っていたものは失われてしまった。原発事故後に避難する際に、飼っていた動物たちを処分せざるを得なかった人。放射能汚染の影響で家業である農業をできなくなった人。避難によって飯舘村はかつての姿を失ってしまったのだ。

 今回インタビューに応じていただいた方は3人。いずれも飯舘村に帰村し、震災前の生活を取り戻すために行動している人たちだ。今月号では1人、来月号では2人の言葉を伝える。飯舘村の、被災地の「今」を知る人たちに村での暮らしと復興の未来を聞いた。

 最初にインタビューに応じてくれたのは菅野義人さん(65)。「飯舘村は自分を育んでくれた大切な村。昔ほど元気には動けないが、村のために働かなければ」。避難先の福島県二本松市から飯舘村に通い復興を進める菅野さんは、飯舘村比曽地区にある農家の15代目で、進んで地域づくりをしてきた。「まだ除染が完全に済んでいない田んぼがあったり、田んぼに水を張るための用水路の整備が済んでいなかったりと現場と行政の間にズレを感じる。こういうズレは何とか自分の力で埋め合わせて復興をしていかなければ」。飯舘村にはいくつかの地区があり、各地区によって放射線による汚染の度合いが違う。その度合いによって畑がもう一度使えるようにする地力回復工事の内容に差があるのだ。

 それでも菅野さんは飯舘村のために日々行動を起こしている。用水路の整備や地力回復工事の差を埋めるために化学肥料を撒くなど、自分の力でできることはやっていく。「確かに震災のせいでできなくなってしまったことは多い」。と菅野さん。しかし、すでに飯舘村の未来を見据えている。「今までできなかったことができないから村に帰らないのではなく、今、村に帰ってできることを考えている。先が見えないからと言って前に進むことを止めないようにしたい」。

 菅野さんには、農業をするために北海道へ行った息子がいる。息子や孫がいつか飯舘村に帰ってくることができるように、菅野さんの復興は続いている。
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