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【欧州紀行2012―⑦】 セルビア・ベオグラード 旧ユーゴスラビア紛争から考えること

 ブダペストを出発した私は列車に乗り込み一路セルビアの首都ベオグラードを目指す。約8時間の長旅だ。1週間ほど過ごしたハンガリーに別れを告げ、列車は国境付近で停車した。現在ヨーロッパではシェンゲン協定に基づき、多くの国で国境検査が行われていない。しかし、セルビアは現在でも国境検査を行っている国で、私はこの旅で初めての検査を受けることになった。



 緊張しながら検査を受けたが、3分もかからずに終了。日本のパスポートの偉大さを感じる。国境を越えていよいよ出発か、と思いきや列車は全く動かずに停車してしまった。原因やアナウンスなど全くないまま2時間ほどが過ぎ、列車がようやく動き出した。同じ部屋のセルビア人のお姉さんと話をすると、このようなことは滅多にないそうで、彼女も不満を抱いていたようだ。結局、ベオグラードには大幅に遅れて到着した。

 土砂降りだったこともあるのだろうがが、NATOに破壊されたビルが不気味に映る。ただ、ラッキーな事に先ほどのお姉さんが色々とベオグラード駅や両替所、タクシー乗り場などを案内してくれた。その日はタクシーを拾い予約済の宿へ泊り1日を終えた。
 翌朝、ベオグラードの街を散策する。バルカン半島で最大の規模を誇るベオグラードの街は、今までの街とは全く違っていて共産圏時代の面影を強く残した重い雰囲気だった。我々が旧ソビエト連邦をイメージするときに描くものとあまり変わらない。しかし、その共産圏独特の重圧な雰囲気が私にはたまらないのだ。ベオグラードは大きい街で、グルグルとまわりつつ戦争博物館や美術館、カレメグダン公園などを周っているといつの間にやら夕方の食事時となった。ホテルでオススメされた近くのレストランで美味しい食事に舌鼓をうってこの日の日程を終了した。

 こうしてベオグラードを観光した私だったが、この街を巡ると戦争が遠い世界の話ではないことを実感する。特に旧ユーゴスラビア紛争は、私が生まれてから起きた紛争だ。この紛争でセルビアは大概、悪者に祭り上げられる。しかし本当にそうなのだろうか?ベオグラードの人たちはどの街の人々よりも私に親切であった。ホテルのフロントマンは原発問題の心配をしてくれ、街中のタクシーは決してぼったくりをしてこなかった。それだけでなくレストランのシェフ、服屋のおじいさん、公園のおばちゃん達皆が私を手厚く歓迎してくれたのだ。私にはセルビアだけが悪者とは思えないのである。旧ユーゴスラビア紛争については様々な議論があるが、様々な情報を咀嚼してその本質を掴まなければならないだろう。

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