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【書評】『麦ふみクーツェ』 いしいしんじ 新潮文庫

 とん、たたん、とん。麦ふみクーツェが、麦を踏む音だ。かれの足音は、ぼくにしか聞こえない。彼の姿も、ぼくにしか見えない。けれどもクーツェは、確かにぼくの傍にいるのだ。ぼくを見守っている。



 話を一言で言ってしまうと、主人公のぼくが、色々な喜び、悲しみを体験しながら、それでも音楽家を目指していく話、とでも表せるかもしれない。しかし、この話の神髄は主人公の成長にあるわけでもなければ、可哀想な悲劇にあるわけでもない。主人公のぼくは、主人公として動いている訳では無いのだ。ぼくの関係しない話も数多く作中では描かれており、そのどれも、欠けていい話ではない。

 話の多様さに呼応して、登場人物も多数いる。主要人物は?と尋ねられると、祖父、父、ぼくの3人が、確かに主要人物としてあげられるが、登場人物のそれぞれは、それぞれの場面で役割を演じている。まさに、それはぼくの人生であると同時に読者の人生でもある。具体的にきちんと名前らしい名前の出る登場人物がクーツェだけ、というのもその印象を強くしている。読者の人生とぼくの人生に違いがあるとすれば、それは音楽があるかないか、なのだ。いや、正しくは自分の周囲が音楽で溢れている事に気付いているかいないか、ということだけだ。

 この物語は、最初から最後まで音楽で成り立っている。ページをめくる音、クラッカーを食べる音、それから流れ星の落ちる音。この世界のありとあらゆる、音の出るものは全て打楽器、音楽なのだ。この活字の本からも、確かに音楽が流れ出ている。音楽を感じ取る事こそが、この本の面白さにあると思う。

 童話のような話の世界観に入るまでは、なかなか読み進めていけないかもしれない。しかし、一度はまると中々抜け出せない。本を読んでいると、心地よい音楽を聴いたような安心感を覚える。ある種坦々と、リズム良く物語は進んでいく。

 話の印象は、おそらく読んだ人ごとに違うと思う。この話は童話のようでもあり、クーツェの正体を探るミステリーにもなりうる。哲学書だと語る人もいるかもしれない。しかし、これは全読者の、ひいては全人類の共通認識だろう。

「合奏は楽しい」


(文責:佐野)
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