【ネタ記事】広瀬川チャレンジ ~河口から水源まで巡る旅byママチャリ~
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筆者は伊達政宗公が大好きである。政宗公が好きで仙台に来たと言っても過言ではない。その政宗公が生誕450年を迎えることになり、筆者は何かしたいという衝動に駆られた。何をしようかと考えながらネットサーフィンをしているとあるサイトに「伊達政宗は広瀬川を愛していた」という記述があった。これを見た筆者は「かの政宗公が愛した広瀬川のすべてを知りたい」と思った。こうして広瀬川の河口から水源までを巡る「広瀬川チャレンジ」が始まった。
5月某日、午前7時半に自宅を出発した筆者は愛用のママチャリを漕ぎ、本企画のスタート地点である広瀬川と名取川の合流地点へ向かった。しかし若林区の国道4号線で「ここどこぉ?」。早速道に迷ってしまった。すぐにスマホの地図アプリを用いて現在地を探る。すると目的地と正反対の方向へ進んでいることが判明。「やっべ」と素早く軌道修正。その後は何の問題もなくスタート地点へ到着。前途が思いやられる。
午前9時、出発した筆者は一路上流へ向かった。長町付近で広瀬川にかかる千代大橋で川を眺めて「きれいだなぁ」と思い、心が癒やされた。その後は、広瀬川にかかる橋を渡るたびに写真を撮り、そのたびに「広瀬川、素晴らしい」と思いながら進んだ。午前10時に大町西公園に到達した。「これは案外楽勝じゃね」しかし楽勝なのはここまでだった。
八幡から愛子への道のりで最初の異変が起きた。「尻、痛い……」ずっと座って漕いでいたために起こった現象である。ここは立ち漕ぎで何とかしのぐ。そして、午前11時前に愛子駅前にたどり着いた。尻の痛みが増してきていたので昼食ついでに一休憩。午前11時半、愛子を出発した。これが地獄の始まりだとは思いもしなかった。
出発してまもなく跨線橋を通過した。そこで太ももが痛くなり始めたのだ。しかも愛子から作並は想像以上に遠く、地味な上り坂が永遠に続く。座ってこぐのも立ってこぐのもつらくなってくる。「ああぁぁぁぁ」「ぐうぇぇぇ」「助けてぇぇぇ」ありとあらゆるうめき声が作並街道に吐き出される。愛子駅を出て30分後、道路標識を見て泣きそうになった。そこには「上愛子」の文字。「愛子広すぎぃ。Please tell me why?」次第にあたりは緑に覆われ、川もますますきれいになっていく。愛子から1時間、午後12時半にやっと作並駅に到達した。
30分の休憩の後、出発。出発してまもなく、「もう無理」と筆者。ついにこれまで一度も降りて押すことのなかったママチャリを押した。坂道が急になってきたのだ。傾斜が緩くなったら乗る、きつくなってきたら押すの繰り返しが始まった。温泉街を通過し、いよいよ民家がなくなり本格的な峠となる。筆者にとってありがたいのはこの道が山道ではなく作並街道という整備された道であるということぐらいだ。道に平行して広瀬川が流れている。ここまで来ると川幅はかなり狭くなっている。「まだか、まだか」と思っているとある柱が目についた。そこには「広瀬川上流端」の文字。「ついにきたぁぁぁ!」絶叫が響き渡る。しかし水の流れはまだ続いている。目的を達成すべくさらに上流へ進む。そして作並駅から1時間半たった午後2時半、ついに関山トンネルに到達した。このトンネルは宮城県と山形県の県境にあるトンネルである。このトンネルの脇にある山道に少し足を踏み入れると、コンクリート塀の穴の中から水が流れているのが見つかった。これより奥は本格的な登山道になってしまうので進入を諦めた。
以上が「広瀬川チャレンジ」のあらましである。塀の奥にまだ水の流れがあるのかは筆者にはわからない。しかし、広瀬川のほぼ全てを見られた筆者には確かな満足感があった。ちなみにスタートからゴールまでにかかった時間は5時間半、走行距離は41㎞、標高差は525mである。このような企画は相当体力に自信のある人以外はおすすめしない。「もう二度としたくない」と思う筆者。なお、帰りは永遠の下り坂を楽しんだのは言うまでもない。