【夏休み読書特集】祭祀と供犠: 日本人の自然観・動物観 中村生雄著
『祭祀と供犠 日本人の自然観・動物観』は、日本人の自然観や動物観を、神に捧げられる「犠牲」を通して多角的に探求した中村生雄の著書である。著者は、「イケニヘ」を捧げる供犠が、神と人間の関係を設定するために行われるものだとし、世界各地の供犠と比較しながら日本の供犠文化の本質を探る。
本書は、古今東西の説話や信仰、絵画などを取り上げながら、犠牲を捧げる行為をその目的から捉え、文化によって本質的な差異があることを明らかにした。著者は古代中国・古代ユダヤ教・西洋の供犠のような、犠牲獣を神への捧げ物として破壊することを重視するものを「殺す文化」と規定する。それに対して、日本のように犠牲獣を神と「共食」することを重視するものを「食べる文化」と見なした。
著者はまず、古代から血を忌避し、肉食を避けてきたとされる日本の供犠文化の再考を試みる。著者は、古代日本においても動物供犠の慣行が存在していたことを示し、神に動植物を捧げ、それを自ら食べるという供犠文化があったことを認める。この供犠の文化と、仏教に由来する「不殺生」や「肉食禁止」の文化がどのように混ざり合ってきたかを、本書では詳しく解説している。
日本では、人間と動物の境界が不分明なまま「不殺生」の考えが広く受け入れられていき、人々は動物を殺すことにも罪悪感を抱くようになった。その罪悪感に対処するために、日本人は動物に成仏する可能性を認め、動物を弔う「供養の文化」を醸成する。供養の対象は、人間から動物へ、さらに針や人形、パソコンといった日用品にまで広がり、現代でもその文化が根強く残っている。著者は、こうした供養が実利的・利己的な活動を全面的に解放するための装置として現代も機能していると指摘する。「供養の文化」には人間中心的な側面が無いとは言えないため、著者は、供養が反捕鯨運動や自然搾取といった西洋的な人間中心主義イデオロギーに対抗しうると自讃することは避けなければならないと主張する。
本書には、こうした現代の問題と結びつく信仰のあり方を見つめさせる要素が随所に見られる。古代から現代に至るまでの信仰や自然観の変遷を追う中で、現在のさまざまな社会問題に対する姿勢を再考させられる、学びの多い一冊だ。