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【著名人特別インタビュー】同時通訳者 長井鞠子氏 ~高校生時代の留学、刺激的な大学生活、そしてロンドンサミットの通訳から現在へ~



 同時通訳者として著名な長井鞠子氏。歴代首相への同行をはじめ、国際的に重要な場面に多く立ち会ってきた。その活躍はNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介されているほど。そんな宮城県出身の通訳のプロに、今回お話を伺った。



―仙台での高校(宮城学院)在学時には、アメリカへ留学されたとか
当時は1ドルが360円の時代、渡航も制限されていたアメリカなんて私にとって想像も出来ない憧れの土地でした。カルチャーショックのようなものはあまり感じませんでしたが、逆に向こうの子たちから日本のことを色々言われるのは癪でね。「これがアイロンだよ、日本人は使っているのかい」なんて。すぐに実家に「お母さん、アイロンかけているところの写真送って」と手紙を書いたこともあります。私たち日本人だってあなたたちと変わらない普通の生活を送っているのよ、と強く伝えたいと思っていました。
ただやはり、おさげ髪の田舎の女学生にとってアメリカの同年代の子たちは刺激が強かった。お化粧もばっちりきめて、社交に長けた向こうの女の子たちの雰囲気にすっかり染まって帰ってきた私を、宮城学院の先生たちは困った目で見ていたかも知れません。
約一年の留学生活でしたが、この時に得た英語の力が現在の通訳としてのキャリアの基礎の基礎になっていると思います。

―進学された国際基督教大学ではどのような学生生活を送っていたのでしょうか
大学に入る直前の話になりますが、実は東北大学も受験していたのです。法学部に入って、ヴェニスの商人のポーシャみたいな格好良い裁判官になりたいと思っていました。数学が出来なかったので試験には落ちてしまいましたが。
当時は全共闘の少し前、学生運動が盛んな時代でした。私の大学生活も学内紛争、闘争に彩られていました。今思い返すと何だか面白い場面は沢山あります。デモがあるからとお友達と一緒に国会に行く途中、道がわからなくなった。そこで道端のお巡りさんに道を尋ねたら一言「お嬢ちゃんたち、帰りな」。
ただ、参加した集会で機動隊に追いかけられた経験など、国の権力が自分に相対するものになり得るということを身をもって実感するようになりました。また機動隊から逃げて入った銀行で自分だけが息を切らしていて、周りの行員やお客さんはいつもと同じような日常生活を送っている。これは一体何なんだ、と。
大学生の時の経験は、自分を社会の中で相対的に考える、感じるきっかけになっていたのだと思います。世の中に対する好奇心の芽生え、ともいいますか。

―通訳としてのお仕事もこの時期にはじめられたそうですね
当時国際基督教大学には同時通訳のコースがあり、面白そうだと思って受講していたんです。そうしたら、学生集会で留学生向けの同時通訳をやれと言われ。ベ平連(*)の集会の通訳などをやったりもしました。そんな中で、現在も所属しているサイマル・インターナショナルの創業者に声を掛けられ、一緒に仕事をするようになりました。

―お仕事の中で印象に残っているエピソードを教えてください
1991年のロンドンサミットでの出来事です。冷戦の名残も強かった当時、イギリスのサッチャー首相に招かれるという形でソ連のゴルバチョフ大統領がサミットに参加されたのです。光あふれる明るい会議場に、サッチャーがゴルバチョフを連れてきた。とても自然な感じで、二人ともニコニコしていてね。この時、「ああ、冷戦は終わったのか」と心から実感したのを鮮明に覚えています。

―通訳という仕事をどのようにとらえていますか
辛いけれど楽しいです。通訳する内容について知っていなければなりませんから、毎日が終わりのない勉強です。そうやって必死に準備したのに本番では全然違う内容を話されたりすることもあります。
でも、言葉っていうのは人間が人間であることの一つの証明じゃないですか。言葉によって人と人はつながり、そして私は通訳としてそのお手伝いが出来る。それって素晴らしいな、と。私の本質はきっとお節介おばさんなんです。誰かと誰かに向かって、「ほら、話してご覧なさいよ」みたいにね。だからなのでしょうか、私は通訳する人の感情まで伝える、乗り移り型、憑依型の通訳者だと言われます。世が世なら、シャーマンとか巫女さんになっていたかもしれませんね。

―最後に、学生に向けてのメッセージをお願いします
好む、好まないに関わらず、皆さんはこれからグローバルな社会の中で臆せず、ひるまず、いろいろなことに立ち向かって行かなくてはなりません。特に東北大生の皆さんは、その中枢で活躍する機会を多く持つことでしょう。そのためには語学力による裏打ちが必要です。今の社会ならば、やはり英語の力です。でも、それだけではだめですよ。日本人であるというその根本をしっかり意識しなければいけない。英語力、日本語力が共に問われているともいえます。
私の好きな言葉は「Sky is the limit」。可能性は無限大です。皆さんは若い。これからの人生、天井を知らずにどこまでも羽ばたいていってください。


(*)ベ平連…「ベトナムに平和を!市民連合」。日本における代表的なベトナム戦争反戦平和運動団体。
特別インタビュー 5445146355579216013
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