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【ネタ記事】ことわざ実践 ~案ずるより産むが易し~

 ことわざ―― それは昔の人々の間で言い習わされてきた、風刺・教訓などを含む言葉だ。「急がば回れ」や「犬も歩けば棒に当たる」などは良く聞くことわざだろう。そんなことわざに疑問を持った人間がいた。そう。筆者だ。




 「『二階から目薬』の意味って分かる?」報道部で藪から棒に出された一つの質問。正解は「物事が思うようにいかず、もどかしいさま」。筆者を含め答えられる人間は一人もいなかった。筆者は率直にこう感じた。「やってみなきゃ分からないじゃないか。実際にやってみて本来の意味と違ったら、新たな意味を追加しよう。」実証主義、ここに極まれり。かくして様々なことわざを実践することになった。

 3月某日、偶然部員Kから「目薬を差してほしい」という依頼を受ける。これは僥倖。間髪を容れずにこう引き受けた。「ただし条件がある。二階から差させてくれ」と。

 早速二階へ駆け上り、Kの顔に照準を合わせる。二階ではKの目はご飯粒のようだ。長く厳しい戦いになることを覚悟しながらも、不安そうに上を向いているKに向かって1発目を発射する。ピチョン。惜しくも額に当たる。2発目、ピチョン。次は頬に当たる。そして3発目、一粒の液体は吸い込まれる様にKの目へ飛び込んでいった。成功だ。なんだよこれ。まさに拍子抜け、お茶の子さいさい。筆者は命中させた嬉しさに有頂天になりながら新たな意味を追加した。「難しそうに見えて、意外と簡単なこと」と。

 次に実践することわざは「苦虫を噛み潰したよう」だ。「苦虫」とは噛んだらとてつもなく苦いとされる想像上の虫のことだが、筆者の想像では大体の虫は苦い。虫を食べることがかねてからの願いだった部員Cを誘い、意気揚々と草木の茂る河川敷へ向かった。

 まだ4月下旬ということもあり河川敷には小さな羽虫しかいない。なんとか1匹のクモを見つけ捕獲した時、別の方向にもう1匹クモを発見。「よっしゃ! 2匹とったる!」と果敢に草をかき分けるも、どちらも逃してしまう。苦心して3匹捕まえたが、奇しくも「二兎を追う者は一兎をも得ず」を体現してしまい、肉体的にも精神的にも疲弊してしまう。そこに追い打ちをかけるような雨が2人を襲う。泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目である。「こりゃあクモったなあ」。筆者渾身のジョークものれんに腕押し。Cの苦笑しか誘わない。

 いや、本番はここからだ。部室に戻った筆者らは善は急げとやにわにクモの調理に取り掛かる。完成したのは「焼きグモ」。塩を振りかけて頂く。毒グモかどうかもわからないので流石にパクッと食べる勇気は出ない。気付けにビールを酌み交わし、「せーの」の掛け声で意を決して口内へ放り込んだ。なんだこれは。錠剤を舐めた時のような苦味がする。美味しくはない。しかし肝心なのは味ではない。顔だ。Cに筆者がどのような顔をしていたかと聞くと、「無垢な少年がこの世のあらゆる辛酸を舐め切った」顔だという。それではこの意味を追加することにする。

 最後に行ったことわざは「道草を食う」だ。草を食べることもかねてからの願いだったCを誘い、野草図鑑を参考にノビル、ヤブカンゾウ、タンポポ、カラスノエンドウを採取する。可食部だけを取り、フライパンで卵と一緒に炒め、焼き肉のタレで味付けをする。こうして完成したのが「野草炒め」。おそるおそる食べてみるとこれが大変に美味しい。ノビルはネギ、ヤブカンゾウはニラに似ており、タンポポ、カラスノエンドウは独特の風味だ。なぜ雑草と呼ばれるこれらの草が人口に膾炙(かいしゃ)していないのか甚だ疑問に思うほどに絶品であった。よって新たに「人に知られていない事・物を楽しむ」という意味を追加することにする。

 こうして筆者の独断と偏見で新たな意味がことわざに追加された。この企画自体が「道草を食う」行為であることは言うまでもないが、太古の人々が自らの経験や見識からことわざを作り出したことを考えると、形だけでも新たな「意味」を造り出せたのは大変嬉しいことだ。最後はことわざで締めよう。終わり良ければすべて良し。

 なお筆者がクモを食べた日に熱を出したのは内緒だ。
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