【ネット限定】原敬の業績をしのぶ記念館
原敬記念館(岩手県盛岡市)は、大正時代に日本最初の本格的な政党内閣を組織し平民宰相と呼ばれた原敬の業績をしのぶ。館内では、原敬日記などの貴重な史料や遺品を展示している。また同館には、かやぶき屋根の原敬生家が隣接している。
日本近代政治史の重要な史料である原敬日記は、原敬が19歳から65歳までつけていた。他にも、東京駅で暗殺された時に着用していた衣服など原敬ゆかりの資料の数々が見どころの一つだ。遺品の多くは原敬の遺族から寄贈され、現在でも収集は続いている。
原敬はふるさと思いの人物として知られる。盛岡藩の武士の家に生まれ、戊辰戦争で敗れてからは、その屈辱を胸に実力で政界を成り上がった。
「白河以北一山百文」という東北を蔑視する言葉から取った「一山」を自身のペンネームとして俳句に親しむなど反骨精神を忘れなかった。また、帰省して人々と交流したり、盛岡藩の歴史を記した『南部史要』の編さんに関わったりして地域に貢献した。
故郷への思いを抱き続けた原敬は、東北出身者として初の大臣となり、民衆の厚い支持を得て第19代内閣総理大臣に就任した。12歳で経験した戦争での苦杯を力に変え、爵位を持たない初の総理大臣「平民宰相」としてついに政権を握った。
同館は原敬の功績を次世代へ伝えるために周辺の小学校へ出前授業を行っている。原敬の座右の銘「宝積」は仏教に由来し「人に尽くして見返りを求めず」を意味する。小学校では「宝積活動」という名前で、落ち葉拾いなどのボランティア活動が実施されている。
体育館に原敬の肖像が飾られていたり、校歌に登場したりするなど地元の小学生にとって原敬は身近な偉人として今もなお親しまれている。地域に密着する原敬記念館を通して、今後も次の世代へ原敬の精神が受け継がれていく。
