【特別インタビュー】NHK 畠山智之アナウンサー ~アナウンサーとして、読むではなく伝える~
https://ton-press.blogspot.com/2013/11/blog-post_1590.html
私がNHKに入ったのは本当にたまたまなんです。大学時代はとにかく海外で仕事がしたかった。そこで商社を受けたんだけど、全部落ちてしまってね。じゃあどうするか、というときに大学の掲示板を見たら「日本放送協会」とあって、ここでも特派員として海外に行けると考えたんです。しかし私は放送関係の仕事に一切興味がなかったので、どんな職種があるかも知らなかった。面接の時に「なぜNHKを望んだのか」と聞かれ、外国に行きたいんですと答えた。でも向こうが知りたかったのはどういう職種をしたいかだったんですね。「分かりません」と答えると「はぁ?」と返してきました。いまだに覚えている。で、パンフレットを見せてもらって、いろんな職種の中から選べと言われてね。でも私には決められなかった。そしたら帰りに別の部屋で音声テストを受けました。私の声がアナウンサーに向いているか確かめたんでしょう。最終的に、ディレクターでも記者でも何でも、番組制作ができればと思って丸をつけたらアナウンサーで採用された。それだけなんですよ。
―ニュース7のアナウンサーを務めることに不安はありませんでしたか
やはり怖かったです。看板番組ですからね。しかも私はニュースの読みに関して下手でしょうがなかった。自信もなかったです。今から思えば、私はNHKのアナウンサーのタイプではなかったんです。これまでのアナウンサーは割ときれいに読んでいく。でも私はそうではなくて伝えるというところにものすごく力を置いていた。鼻濁音だとか、発声練習だとか、早口言葉とかいうのは馬鹿らしくてしょうがなかった。全く意味がないと思っていました。というのも、人に話を伝えるならば「伝えたい」と思わないことには始まらないからです。例えば、街で美味しいものを食べたことを他人に伝えるときに、「今日さっ、あそこで安い定食で、旨くてさ!」と言いますよね。その時の伝える力ってすごいでしょ。「今日お昼に街でランチを食べました。大変美味しかったです」じゃ伝わらない。NHKの昔のアナウンサーは、私の目から見たら後者のしゃべり方をしていたんです。きれいに、立て板に水の如くニュースを読んでいた。そうじゃなくて、自分もニュースを感じながら伝えるスタイルでやりたいと思いました。ニュース原稿の読む順番を変えたりもした。でも内容は変えないように伝えていたので、記者も認めてくれました。本当に互いの信頼関係で成り立っていました。
―特に印象に残っているニュースはありますか
アメリカの同時多発テロ事件です。目の前で飛行機が貿易センタービルにぶつかる様子を、生中継でスタジオの中から見たんですよ。そのときは放送を担当していませんでしたが、これは大変なことが起きたと。この事実を正確に切り取って伝えるというのは、どれだけ大変なのか。普段の自分の知識をフル動員させても間に合わないんです。まず、飛行機がビルにぶつかる事故は過去にもあったかもしれないけれど、旅客機がぶつかるというのはまずない。さらに、後々テロ事件だという話になってくる。そしてアルカイダというグループが出てくる。ほとんど予備知識がないわけです。一個一個自分で勉強しないと、事実は伝えられないんですよ。その時に初めて、ニュース7を担当している男は本当に普段から広く学んでおかないと、いざというときに何も伝えられないと思いましたね。これまでは自分の好きなことを掘り下げて考える人間だったけれど、そうではない範疇にまで広げていく必要性を感じた。それで自分でもわからないことは、誰か答えてくれる人を見つけておく。これは大学がものすごく役に立った。日本大学は総合大学なので、私の研究室の先生にお願いしてテロについて詳しい先生を教えてくれと言ったら、紹介してもらえたんです。こういったネットワークを最大限に活かしましたね。大学は積極的に利用するべきです。東北大学も総合大学なので同じことができると思います。
―今後の目標は何ですか
一つは、「人の命と財産を守る」という原点を突き詰めることです。例えば、津波速報でどうしたら多くの人が逃げてくれるのかという課題がある。私は東日本大震災のときに東京で一生懸命呼びかけていた。津波が来た、本当に来ている、逃げてくれ、と。しかし十分には通じなかった。毎回同じトーンでやっているから、「またあれだよ。来ない来ない」という狼が来たぞ現象を引き起こしてしまったんです。そこで、昨年12月に津波警報が出たときは文言や呼びかけ方を変えました。「いち早く逃げてください!」と叫んだ。そしたら逃げてくれたはいいけど今度は大渋滞が起きてしまった。これではまた人が危なくなる。第一報の放送で最善の方法は何なのか、私がどう伝えるべきなのかということをもう一度突き詰めたいです。
もう一つは、宮城の人たちに笑いを届けられる番組をやりたいです。落語とかそういうカテゴリーではなくて、見ていてほんわか笑ってしまうような番組です。私ね、笑顔って本当に人の明日への希望を生み出すと思うんですよ。微笑むともうひと頑張りできそうに思える。被災地は震災から2年が経って、ある程度の家はできました。ただし、何が変わったかというと避難所から仮設の住宅になっただけで、昔の家を取り戻したわけではない。自分の生活は何も変わっていないんですね。さらに失った人は帰ってこない。悲しみは日を追うごとに大きくなっていくと思うのです。その時に、本当に笑顔になれる番組を作ってあげたい。大丈夫、あと一日生きていればいいことがあるってね。