復興の今 女川の様子と魅力 後編
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商店街から車を5分ほど走らせ、女川地域医療センターに隣接する「コミュニティーハウスおちゃっこクラブ」に入店。注文した「ほや塩ソフトクリーム」は、ほやの中の海水から作られた塩がバニラソフトにかかっており、その甘さを引き立たせている。女川らしいスイーツを堪能した後、お店を経営する岡利恵さんに話を伺った。
震災当時妊娠7ヶ月だった岡さん。避難した医療センター1階は津波で完全に浸水し、さらに屋上のタンクの破損により最上階も水浸しになってしまっていた。センター内のカーテンや濡れずに済んだシーツなどを使って寒さをしのぎ、数日間廊下で寝泊まりしたという。お腹の赤ちゃんはその後無事に産まれ、家族全員、元気に暮らしているとのこと。
「おちゃっこクラブ」は現在、医療センターに通院する人が多く立ち寄り、客同士で会話を楽しむ憩いの場となっている。地域一帯は地盤を上げるための大規模な工事が行われている最中だ。女川の復興は進んでいるとはいえ、まだ時間がかかる。工事が完了するのを悠長に待つよりも、家族が元気なうちに違う土地へ移り新しい生活を始めたいという人も多く、女川町の人口は徐々に減っているという。「早く」元気な女川町になってほしい、と強調する岡さん。女川に暮らす方のお話を直接聞くことで、今まで新聞やニュースで目にしていた「一刻も早い地域復興を」という言葉に改めて重みを感じた。
午後2時。先程までとは打って変わって、本学農学研究科女川フィールドセンターを訪れた。ここではDNA鑑定による水圏生物の分子生態学的研究や、アワビやナマコの新品種開発の研究等が進められている。震災で壊滅し去年7月に新築・再開されたこの施設を、木島明博教授に案内していただいた。
フィールドセンターは5階建て。3階には「海で採った生物のDNAを抽出し、それらを増殖して、解析する」という一連の流れに沿って実験室が並び、2階にある飼育実験室では貝の交配実験や飼育が行われている。4階には宿泊施設が備わっており、センターの外に出ると船もある。「科学の力を使った、知的な漁業を発展させていきたい。そうすれば日本の海が単なる儲けの場じゃなく、世界に誇れる海になる」と木島教授。「楽しくなきゃ研究じゃないよ」と笑顔で語るその目は、実に活き活きとしていた。
フィールドセンターの後は最後の目的地、今年3月に開業した新・女川駅へ。駅舎は木材を使った温かみのある外見で、丸みを帯びた白い屋根は町のシンボルであるウミネコが羽ばたく姿をイメージしている。駅前の無料で入れる足湯に加え、構内には温泉や物産展があり、3階の展望フロアからは海が見える。今はまだ工事現場の真ん中にぽつんとあるような女川駅だが、周りの工事が終わって新しい商店街が完成する日が待ち遠しい。
仙台から車で1時間半―― たいして遠い距離ではないはずなのに、私が女川町に来たのはこれが初めてだった。仙台市内に住んでいるとほとんど感じなくなってきた震災の影響も、女川へ来てみると眼前の問題として改めて考えさせられる。女川の復興のためには、女川のいいところを知って周りに教えることが大切なのではないか。この記事を読んだ皆さんに、少しでも女川に興味を持っていただければ幸いである。(文責:千葉)