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【復興の今】飯舘村帰村の今 前編

 2011年3月に起こった東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故から5年。国は避難指示解除に向けて、除染や家屋の解体などの環境整備を進める。17年3月までに帰宅困難区域を除く「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の指定を解除する方針だ。




 一方、事故現場では汚染水処理が難航を極め、指定廃棄物の最終処分場建設にめどが立っていない。避難区域にあたる市町村の除染作業や住民の帰還、生活再建に関して様々な課題が山積している。

 4月上旬、河北新報社の寺島英弥編集委員に協力をいただき、報道部は福島県飯舘村を訪問した。原発事故の影響で深刻な放射線汚染にさらされた飯舘村。当時、約6200人いた村民は全村避難を余儀なくされた。16年4月現在、飯舘村によると、福島市で県内最多の約3800人が避難生活を続けており、埼玉県や神奈川県など県外に避難した村民もいまだ約500人と少なくない。

 飯舘村は避難指示解除の目標を17年3月末までとしている。大半の行政区で除染作業が進み帰村への準備は進められているが、今年1月の復興庁の調査で「村に戻りたいと考えている」と回答した村民は29・4%と全体の約3割にとどまる。一方、長泥地区だけは放射線量が高く、帰還困難区域に設定されたままで帰村準備はまったく進められていない。国の方針と実情との間に大きな隔たりは隠せない。

 今回、飯舘村に戻って村民の生活再建のために努力している佐須地区の農業菅野宗夫さん(65)と、比曽地区の農業菅野義人さん(64)に話を聞いた。震災から5年経った今、2人は飯舘村をどのように見ているのだろうか。

 菅野宗夫さんは、NPO法人「ふくしま再生の会」で野菜の栽培試験を行っている。明治大の研究者らが開発した新しい栽培方法を試し、除染、土壌、生育など様々なデータを収集。避難解除後に生業の再開を希望する農家のモデルになることを目指す。

 「自然との関わりや恵みを大切にしてきた」と語る菅野さんは、自身を「山のこだわりや」と胸を張る。自然あふれた古里、飯舘村を村民同士で再生させる。「共有、共感、協働で再生への道を歩みたい」。多くの村民が線量測定などを協働し、村の問題を共有、共感することが、帰村の気持ちにつながるのだと考えている。

 菅野義人さんは飯舘村への帰村をすでに決めている1人だ。避難指示解除後の比曽に住むため、約100年にわたって受け継いできた実家を改装した。「解除前に家を建てたのは、村民としてのプライド」。菅野さんは覚悟を決め、帰村への一歩を踏み出した。

 一方、「村に戻ることは困難になりつつある」と菅野さんは痛感する。農業は再開できるか、体力は追いつくか、仕事を受け継いでいけるか。時間が経つと課題が生まれ、生活再建はますます難しい。「まず地域の中で再生のビジョンを話し合いたいと思う。方法はいくらでもあるだろう」。避難指示解除と飯舘村の再生をリンクさせる工夫を模索し、試行錯誤を繰り返す。
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