平成29年度東北大学基金課外活動奨励賞受賞

東北大学学友会報道部は、平成29年度東北大学基金課外活動奨励賞を受賞いたしました。
今年度は20団体が受賞しております。
今後とも学友会報道部をよろしくお願いいたします。

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【復興の今】飯舘村 帰村する人 後編

 2011年3月東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原発事故から6年が経過した今年4月。報道部は福島県飯舘村を訪れた。




 原発事故の影響で、飯舘村は深刻な放射能汚染を受け、避難指示が発令されていた。今年3月に帰宅困難区域を除いて避難指示が解除され、復興のために村に帰村する人たちがいる。

 先月号に引き続き、飯舘村に帰村して復興に力を尽くす人たちを伝える。今回話を聞いたのは菅野啓一さん(62)と佐野ハツノさん(68)だ。

 「飯舘のまでいさをいかして、復興と除染を続けていきたい」と菅野さん。「までい」とは、「丁寧に」「手間暇惜しまず」などを意味する方言。この言葉とともに復興への思いを語ってくれた。

 「田畑の除染を行政に頼らずに自分でするのは難しい。まずは家の周りの除染からやる」。菅野さんは復興を目指して、特に除染に力を入れて活動している。放射性物質が飛来してきたとき、その物質は主に背の高い木に付着する。菅野さんの自宅の裏には杉林があり、その木の枝に放射性物質が付着していることが分かった。そこで菅野さんは、汚染物質の付着が多い木は伐り倒し、その他の木は枝だけを切り落とした。この除染作業によって菅野さんの家の周りの放射線量は大きく下がった。

 また、菅野さんはドイツから放射線計測機を購入。家の周辺から飯舘村比曽地区を中心に村内の放射線量を測定し、データ化して地図に落とし込んだ。「このデータ収集も除染のための試行錯誤の一つ。今、自分たちがやっていることを、村に帰ってくる気持ちが少しでもある人、そして後継者たちに感じてもらって考えてほしい」。飯舘村の未来のために菅野さんは復興に励む。

 「自宅に帰ってくることができてホッとしている気持ちはある。自宅の安心感は何物にも変えがたい」。と語るのは、飯舘村八和木地区に帰村した佐野ハツノさんだ。ハツノさんは夫の幸正さん(70)とともに帰村した。同地区内での帰村者は想像よりも少なかったが、決して後ろ向きな気持ちではない。「村の様子を見て帰村しようか迷っている人もいる。その人たちのためにまず私たちが村に帰らなければと思った」。

 佐野夫妻は村で生活を行うために自給自足の生活を目指していこうと決めた。二人は家庭菜園としてビニールハウスを作り、野菜の自給を始めた。「まだ放射線の風評被害はあるけれども、やっぱり自分たちで作った作物が一番おいしい」。自然の恵みとともに生活できることが飯舘村の魅力の一つだとハツノさんは話す。「飯舘村で自然とともに暮らすことで得ることができる幸せ。この幸せを多くの人に知ってもらって、飯舘村がとても幸せな場所だと知ってほしい」。飯舘村にしかない暮らしを大切にして、佐野夫妻は生活している。

 避難指示が解除されただけでは復興は終わらない。震災前の暮らしを取り戻すことこそが復興で目指すゴールだ。
復興の今 5500898125015555286

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