【ネタ記事】報道部「絵心教室」開催 ~美術センスをみせつけろ~
https://ton-press.blogspot.com/2019/06/art2019.html
絵心、という言葉がある。絵に理解やたしなみがあること、絵を描く心得を持っていることを指して言う言葉だ。
生まれてこのかた、筆者はこの絵心という言葉に散々苦しめられてきた。6歳の頃、小学校の遠足で見たカモシカを絵にしたとき、それを見た母に「足が8本ある」と大爆笑されたのが全ての始まりだ。中学校の美術の授業では、5段階中の2という、本来なら出席不足でしか出ることのない成績を叩き出した。
そんな筆者も高校に入ると科目選択で美術を見事に回避することに成功し、画用紙や絵筆とは無縁の生活を手に入れた。そして本学では報道部に入部し、もう人生で絵を描くことはあるまいと、愚かにも信じ込んでいたのである。
ところがだ。部室にはホワイトボード、そして3色のマーカーがある。報道部の仲間たちはそれを使って何をするのか。当然、記事の案や部会の内容を記すと思うだろう。もちろん、それは間違いではない。しかし、それだけではないのだ。諸君、驚くなかれ。絵心がない、という言葉の呪いに散々苦しめられてきた筆者としては何とも理解しがたい話なのだが、彼らはそこに絵を描くのである。そして挙げ句の果てに部室を使って「絵心教室」をしようと言い出したのだ。あまりにもお粗末な筆者の絵心を矯正してやろうというわけである。逃げることは出来なかった。手にはマーカー、目の前にはホワイトボード、部室の出口はふさがれている。そしてそれ以上に、自分の意地が許さなかったのだ。何としてもこの機会にそれなりの、せめて人並みの絵心を身に付け、不届きな部の仲間たちを見返してやらねばなるまい。そう思った。
参加する部員は3人。常々部内で「絵心がない」と評されている筆者と部員K。そして、中学の頃美術部長を務めていた部員Uだ。そして、中学と高校で美術部に所属していたN先輩が技術指南を担当する。共通のお題に基づいた絵を3人で描き、N先輩からアドバイスをもらうという流れだ。
最初に指摘が入ったのはウサギの絵だ。筆者に言わせればどこからどう見てもウサギ以外の何物でもないのだが、周りの部員によると、ウサギを横から見た時にその顔の全面が見えることはないし、そもそも足がウサギのそれではない。極めつけに、生気の無い顔はなんなのだ、ということらしい。
その後もギターや編集長の似顔絵などさまざまなお題が出され、筆者は全力を尽くしてホワイトボードに向かった。特に軽音部に所属してギターを弾いている身として、ギターは上手に描けたという自負もあった。しかし、お題を描き切り、清々しい気分で隣の部員UとN先輩を見て、目を丸くした。そこにあったのは、自分と同じ時間で描いたとは思えないほどにリアルな絵だった。なるほど、確かにウサギはこんな感じだったと再確認させられることになった。
その後には美術部出身の2人による絵の指導が行われた。動物の後ろ脚の筋肉に関する説明は目からうろこだった。2人の手直しが入った筆者のウサギは、確かに前に比べて、よりウサギらしいものとなっていた。そしてそれ以上に驚きだったのは、絵が上達することに喜びを感じている自分がいたことだ。
読者の中にも、絵心という言葉に苦しめられている人がいるかもしれない。しかし諦めてはいけない。絵の技術は、いつ磨き始めても遅くはないものだ。そして、それは新しい喜びを見つけることにつながる。大学生、自由な時間のある今のうちに、諦めることなくさまざまな挑戦をしてみてほしい。
生まれてこのかた、筆者はこの絵心という言葉に散々苦しめられてきた。6歳の頃、小学校の遠足で見たカモシカを絵にしたとき、それを見た母に「足が8本ある」と大爆笑されたのが全ての始まりだ。中学校の美術の授業では、5段階中の2という、本来なら出席不足でしか出ることのない成績を叩き出した。
そんな筆者も高校に入ると科目選択で美術を見事に回避することに成功し、画用紙や絵筆とは無縁の生活を手に入れた。そして本学では報道部に入部し、もう人生で絵を描くことはあるまいと、愚かにも信じ込んでいたのである。
ところがだ。部室にはホワイトボード、そして3色のマーカーがある。報道部の仲間たちはそれを使って何をするのか。当然、記事の案や部会の内容を記すと思うだろう。もちろん、それは間違いではない。しかし、それだけではないのだ。諸君、驚くなかれ。絵心がない、という言葉の呪いに散々苦しめられてきた筆者としては何とも理解しがたい話なのだが、彼らはそこに絵を描くのである。そして挙げ句の果てに部室を使って「絵心教室」をしようと言い出したのだ。あまりにもお粗末な筆者の絵心を矯正してやろうというわけである。逃げることは出来なかった。手にはマーカー、目の前にはホワイトボード、部室の出口はふさがれている。そしてそれ以上に、自分の意地が許さなかったのだ。何としてもこの機会にそれなりの、せめて人並みの絵心を身に付け、不届きな部の仲間たちを見返してやらねばなるまい。そう思った。
参加する部員は3人。常々部内で「絵心がない」と評されている筆者と部員K。そして、中学の頃美術部長を務めていた部員Uだ。そして、中学と高校で美術部に所属していたN先輩が技術指南を担当する。共通のお題に基づいた絵を3人で描き、N先輩からアドバイスをもらうという流れだ。
最初に指摘が入ったのはウサギの絵だ。筆者に言わせればどこからどう見てもウサギ以外の何物でもないのだが、周りの部員によると、ウサギを横から見た時にその顔の全面が見えることはないし、そもそも足がウサギのそれではない。極めつけに、生気の無い顔はなんなのだ、ということらしい。
その後もギターや編集長の似顔絵などさまざまなお題が出され、筆者は全力を尽くしてホワイトボードに向かった。特に軽音部に所属してギターを弾いている身として、ギターは上手に描けたという自負もあった。しかし、お題を描き切り、清々しい気分で隣の部員UとN先輩を見て、目を丸くした。そこにあったのは、自分と同じ時間で描いたとは思えないほどにリアルな絵だった。なるほど、確かにウサギはこんな感じだったと再確認させられることになった。
その後には美術部出身の2人による絵の指導が行われた。動物の後ろ脚の筋肉に関する説明は目からうろこだった。2人の手直しが入った筆者のウサギは、確かに前に比べて、よりウサギらしいものとなっていた。そしてそれ以上に驚きだったのは、絵が上達することに喜びを感じている自分がいたことだ。
読者の中にも、絵心という言葉に苦しめられている人がいるかもしれない。しかし諦めてはいけない。絵の技術は、いつ磨き始めても遅くはないものだ。そして、それは新しい喜びを見つけることにつながる。大学生、自由な時間のある今のうちに、諦めることなくさまざまな挑戦をしてみてほしい。