【連載】オフィスアワー 「役に立つ」とは どの立場を尊重するか
近年、「役に立つ」研究が大学に求められる風潮がある。人文社会系の学問は「役に立たない」とされ、研究費の配分も少ない。これを人文社会系専門の研究者はどう思っているのか。人文社会系の学問と社会とのつながりは。文学部で倫理学を専門とする小松原織香准教授に話を聞いた。(聞き手は鈴木舞優)
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こまつばら・おりか 2024年4月、本学大学院文学研究科准教授に着任。 専門は哲学、倫理学。(写真は同氏提供) |
―何かを「役に立つ」と判断するとき、判断に関わるものは
私たちが「役に立つ」という表現を使うときには、自分自身がどの立場から物事を見ようとしているのかが問われます。ある人の行動が役に立つかどうかを判断するには、自分がどのような立場から何を尊重しているのかが関わります。
―倫理学は「役に立つ」状況が見えにくい学問と言われることもあるが、実際は社会にどのように関わっているのか
確かに戦争や災害が起きたその瞬間、倫理学者は無力です。医学や工学の専門家が現場に入って救援活動に加わったり、助言をしたりする姿はまぶしく見えます。人類学者や社会学者が即座にデータを集めに飛び込んでいくのを、後ろの方からただ眺めることしかできません。
しかし倫理学者は「その後」に注目します。水俣病を例に出すと、最初の犠牲者が出てから70年近く経っていますが、今でも人々の心には歴史の重荷がのしかかったままです。そういう土地に倫理学者は入り、地元の人の生活のリアリティや生きていく困難に耳を傾けます。
戦争や災害の「その後」はずっと続きます。だから焦らず時が熟すのを待つことが、倫理学者の社会との関わり方で大事な点だと私は考えます。
―「役に立つ」学問の優遇をどう捉えるか
ある学問が「役に立つ」のかどうかの評価は予算配分の不均衡によって可視化されます。私はその可視化自体は必要なことだと思っています。かつては学閥やコネで決まっていたようですから、外部に見える形で予算配分の基準を作るのは、お金の流れの透明性を保つための良い方法と言えます。
ではその基準を誰が設定するのか。理想は、あらゆる価値観から判断した「役に立つ」ことに対して並列的に予算を配分することでしょう。現状で多くの研究者が予算配分に不満を持つのは、「役に立つ」という基準の設定が偏っているからです。学問の民主化が喫緊の課題だと思います。