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【連載・津波被災地を走る】 ①山元町~仙台空港

 宮城県沿岸部を6つに分けてクロスバイクで走り、写真を通して現状を伝える企画「津波被災地を走る」を始めます。

 東日本大震災から3年が経過し、キャンパス周辺は震災の爪跡がほとんど見られなくなってきた昨今。津波の被害を受けた地域はいま、いかなる状況にあるのか、また、どのように問題と向き合っているのか。学生記者が見た実状の「一端」を、全6回にわたりホームページで掲載します。

 第1回は、福島県との県境「山元町」から「仙台空港」までの約40kmを北上しました。 





山元町

4月6日、晴れ。最高気温8度。季節が一カ月ほど逆戻りしたような寒さが身に染みます。

 大きく膨らんだ桜のつぼみを横目に、福島県との県境まで、クロスバイクを走らせました。宮城県沿岸部の最南端に位置するのは「山元町」です。福島県の新地町と隣り合っています。

東日本大震災の津波では、町内の37%が津波で浸水しました。海岸線~1.5kmの建物は新築が一部残る程度で、ほとんどが流出したということです(山元町ホームページより)。


 こちらは県境から福島県側を映した写真です。道路の先は通行止めになっていることが分かります。津波により壊れた県道38号線を修復するため、立ち入り禁止になっています。

 今度は海岸から福島県側を望みます。


続いて宮城県側。



 高さ10メートルほどの高台からの写真です。

 まばらな松林からは、今立っている場所を津波が飲み込んだことが分かります。


 ここから、沿岸部に沿って伸びる県道38号線を北上していきます。






道路脇には建物がほとんど見受けられません。
水田が広がっていたそうですが、今は枯草ばかりの荒野になっています。

 枯草の向こうに、旧中浜小学校が見えてきました。



 児童と職員、地域住民あわせて90人が2階建て校舎の屋上に避難し、津波を免れたといいます。
 2階の窓ガラスが割れていることから、津波の高さがうかがえます

 校舎の北側にたたずむ一本の木に、たくさんの黄色いハンカチがはためいていました。


 全部で3000枚あるそうです。一枚一枚には被災地への応援メッセージが書かれています。
 映画「幸せの黄色いハンカチ」にちなみ、地元の住民グループが全国から集めたとのこと。


 慰霊碑の前で手を合わせ、犠牲になった方々へ追悼を捧げました。


  再びクロスバイクを走らせます。
  津波をかぶった農地では除塩作業が行われています。



 道路脇には、いまだに小さな瓦礫が散乱しています。コンクリート片や鉄くず、ガラスの破片など、かつてそこにあった暮らしを思わせるものばかりです。
 写真の中央に見られるのは掃除機の本体です。


 沿道で見かけた花壇で一休みすることにしました。
 市民ボランティア団体がしつらえたもののようです。

  色とりどりの花畑の周りに、丸太で作られたイスが並べられています。



 丸太に腰かけて腹ごしらえ。
 いただいたのは、仙台市から向かう途中、山元町の内陸部にある食堂で購入した「ホッキコロッケ」です。

 山元町はホッキ貝の名産地。
 震災前は県内一の水揚げ量を誇っていたということです。
 津波被害で水揚げできない状況が続いていましたが、昨年12月から出荷を再開。

 これに合わせて、町をあげてホッキ貝をPRしようと、「ホッキコロッケ」を商品化して町内の食堂や弁当屋で提供しています。


じゃがいもベースのサクサクとしたコロッケの中から、大ぶりのホッキ貝が一つ、ゴロッと顔をのぞかせました。

 かめばかむほどホッキ貝の甘味と旨味が口内に広がります。
 う~ん、美味しい!複数個買えばよかったと後悔。


 体力を回復したところでクロスバイクにまたがり、亘理町を目指します。



亘理町


 はぬけした松林と水たまりが広がる寒々しい光景が続きます。
 県境から15kmほど進んだところで、亘理町に入りました。




 震災前、亘理町のいちご生産量は宮城県内1位でした。
 山元町と合わせて、「東北一のいちご産地」として知られていました。
 しかし、津波により農地の90%以上が浸水。

 海水は深刻な塩害をもたらしました(宮城県ホームページより)。


 県道38号線をそれて内陸に1kmほど進むと、JR常磐線の浜吉田駅があります。


 現在は1番線のみが使われ、仙台から到着した電車はそのまま折り返します。
 横切ってきた「坂元駅」と「山下駅」が、津波による駅舎流失などの甚大な被害を受け、使用できないためです。
 2番線へ続く跨線橋は立ち入り禁止になっています。

 駅員さんの許可を得て撮影しました。

 福島方面へ伸びる線路には、現在は電車が通っていません。
 JRの方針では、線路を内陸に移したうえで、再開を図るということです。


 再び県道38号線に戻ると、何やらビニールハウスがたくさん並んでいます。



「いちご団地」です。
  国の復興交付金により、亘理、山元両町が「東北一のいちご産地」の再生を目指して建設したものです。
  亘理町内には100棟以上のハウスが建てられたそうです。(宮城県ホームページより)
 ハウス群から1kmほど内陸のところで、いちごの直売所を見つけました。
 その名も「いちごっこ」です。


店頭に立つのはいちご農家の小野英明さん。
津波により、沿岸部にあったハウスが全て流されました。
現在は、いちご団地で栽培を行っています。

 今年の2月に、この直売所をオープンさせたとのこと。



「けさ採りたてのいちごだから、おいしいよ!」
 にこやかに応じてくれる小野さん。
 さっそく自慢の「とちおとめ」を購入し、その場でいただきました。


真っ赤に熟したいちごは、さながら赤い宝石のようです。
表面がツヤツヤと輝いています。
口に運ぶとしっかりとした弾力があり、しまった果肉からジューシーな果汁がほとばしります。
鼻に抜ける香りがとっても爽やか。


「こんなに美味しいいちご、食べたことがありません!」

「はっはっは、練乳と一緒に食べると最高なんだけどね~」

至高のいちごとの出会いに気持ちがたかぶる筆者。
結局何もつけずに、1パックを平らげてしまいました。


 お腹も心も大満足。
 小野さん、ありがとうございました。



仙台空港へ


 亘理町の北東部、阿武隈川に架かる亘理大橋を渡ると、岩沼市に入ります。


岩沼市の北部には仙台空港が位置しています。

市の沿岸部には「貞山運河」が南北に続いています。
江戸時代から明治時代にかけての工事で作られたそうです。

最初の堀は、伊達政宗の命により開削されたのだとか。


運河の周りは、木が倒れていたりガードレールが壊れていたりといった状況です。
修復の工事が進められていました。


貞山運河を横目に10kmほど北上すると、仙台空港が見えてきます。



300mほど手前にある看板には、津波到達水位の高さが記されていました。
4.05mと書かれているのがわかります。


仙台空港は津波に際し、全体が浸水しました。

現在の建物からは当時の被害が感じられません。



 それでも、少し貞山運河の方へ歩くと、津波でゆがんだガードレールが見られます。


 空港に流れ込んだ津波の破壊力が想像できます。


吹き付ける浜風が次第に強くなってきました。
日は落ち、西の空には夕焼けが輝いています。

飛び立つ飛行機を見送り、帰路に就きました。





次回は仙台空港から七ヶ浜町までを北上します。

5月上旬にインターネットで掲載する予定です。

(文責:立田)
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