【欧州紀行2012-⑨】クロアチア・スロベニア アルプスの東の国
https://ton-press.blogspot.com/2014/01/2012.html
<クロアチア>
早朝、ザグレブ行のバスに乗り込み西洋のオリエント、サラエボに別れを告げる。旅立ち特有の哀愁を感じながら風情に浸っていると、早速トラブルが発生した。どうもスーツケースを乗せるには別料金がかかるらしい。それについては存じていたが、案外と高い値段だ。昨日散々飲み食いした私は、ボスニアの兌換マルクをほとんど使いきってしまっていたので、支払いが出来なくなってしまった。
そこでタバコという手段を使うことにする。以前の欧州紀行で記したように、ハンガリーではミルキーの飴を使って同じようなピンチを乗り切っていたのだが、その後に買っておいたタバコが役に立った。運転手は非常に喜んでくれたみたいで、しきりに私に話しかけてきた。こんなこともあろうかと準備していたタバコが絶大な効果を発揮したのだった。
クロアチアへの道中、大統領の移動の為に道路が大渋滞になった以外、何事もトラブルが起きなかったので、セルビアの時ほどバスは遅れずクロアチアの首都・ザグレブにバスは到着した。いざ観光をしよう、と思ったが既に夕暮れ時だ。旧ユーゴスラビアでの移動は道路が悪いために半日以上かかることが多く、その日は宿の近くの八百屋を覗いたりするなどして一日を終えた。
翌朝、早速観光へと向かう。ザグレブの様子はハンガリーやボスニアのオリエンタルな雰囲気とも、セルビアの様な旧共産圏特有の重圧感とも違い、非常に西洋的な街で物価もかなり上昇してきた。例えるなら、チェコ・プラハやオーストリア・ウィーンの様なオシャレな雰囲気がどことなく感じられる。事実、ザグレブは小ウィーンとも呼ばれているらしい。クロアチアはドブロブニクが観光都市であるので、残念ながらこの「小ウィーン」は見どころがほかの都市とも比べて少なく、訪れる人は素通りしてしまう人も少なくない。しかし、素通りするには物凄く勿体ない魅力的な街なのである。何といっても高台から見渡した赤レンガのザグレブの街の景色はブダペストの夜景にも勝るとも劣らない光景だ。また、非常に日本文化が流行しているようで、ある少年のスケートボードには侍という漢字が書かれていたり、駅前ではYAMATOさんという日本人の太鼓舞踊の方が演舞をおこなっていて大盛況だった。私も少し参加し、クロアチアの方々に鶴の折り紙を教えるなど、日本とクロアチアの友好にちょっぴりと貢献したのであった。
そしてクロアチアといえば、ネクタイが名物である。クロアチアの兵士が出征前に愛する人からもらったスカーフがネクタイの原型と言われている。それを見た他国の兵士が羨ましがり、世界的に普及したようだ。このクロアチアのネクタイを私も一本購入したのだが、非常に素晴らしい出来である。是非、クロアチアに訪れた際にはネクタイを購入してみたらどうであろうか? 愛する人にネクタイを巻いてもらえたらなお、最高であろう。ああ、羨ましい。
ザグレブの観光に区切りをつけ、次にスロベニアの国境にあるサモボルという街に向かった。サモボルは旧市街があり、宮城県で例えるなら多賀城や白石といった場所である。きれいな街並みに、活気のある旧市街、そして広々としたホテル、夏はここでゆっくり過ごしたい……それくらい心休まる街であった。サモボルの名物はサモボルスケ・クレムシュニトというとても甘いケーキだ。このケーキとコーヒーがセットで150円、ザグレブよりもぐっと安くなる。味のほうは、非常に甘い、甘ったるいといったほうがいいのかもしれない。それでも素敵なサモボルの街と相まって大満足であった。
<スロベニア>
次の日、ザグレブに戻り特急電車に乗り込む。次の目的地はこの旅最後の国、スロベニアの首都リュブリャーナである。検問は難なく通過、逆に日本人が珍しいようで色々と質問してきて話が弾んだ。「スロベニアを楽しんで、良い旅を」とのこと。
列車は2時間ほどでリュブリャーナに到着した。ユリアンアルプスが間近に見える山の街だ。リュブリャーナは完全に我々が想像する西洋である。水の都ヴェネツィアまでも近く、むしろイタリアの地方都市といった雰囲気が強いのかもしれない。リュブリャーナでの宿は、昔刑務所だった建物を改装したところだった。鉄格子や部屋の仕組みなどがユニークでそれだけで楽しませてくれる。そんな刑務所ホテルで一夜を迎えるのであった。
翌朝、リュブリャーナの観光を始めるが、あいにくの月曜日でほとんどの建物が閉館だ。しかし、リュブリャーナは街を歩いているだけで楽しい。街の中心にある三本橋やピンク色の教会、街の中心にありスロベニア全土を見渡せるリュブリャーナ場など見どころは沢山ある。十分にそれを満喫した私は、アイスクリーム屋に立ち寄った。うーん、おいしい! 日本のものとはまた違った美味しさだ。さっきから甘いものの食べ過ぎのような気がしないでもない……。
太陽も傾き始め次に山のふもとの街、カムニクに行くことにした。実はカムニクの情報については全く知らず、行き当たりばったりで行くことにした目的地である。実際に行ってみると先ほどのサモボルの様な街であったが、こちらは観光地という雰囲気はあまりなく、ありのままの人々の生活が伝わってくる街であった。カムニクは英語が通じる人が本当に少なく、ジェスチャーなどでのコミュニケーションが多く苦労したが、相手も私のことを理解してくれようと熱心であり、とてもありがたい気分になった。また、街の人も明るく、小さな小学生の女の子が「ダン!(スロベニア語でこんにちは)」と挨拶してくれるなど暖かく気持ちの良い場所で、まるで天使達が住む街を見ているかの気分であった。
翌日、カムニクを出るとスロベニアの観光地、ブレッド湖はと向かった。ブレッド湖は世界遺産にも登録されている有名な湖で、湖の中央に小さな小島がある。残念ながら冬季の為に凍結して小島に行くことはできず、ブレッド湖を周遊する。
周遊を終え近くにある世界的に有名なカフェに入る。そこで出されたのが割れて欠けた皿であった。流石にイラっときて、マスターに文句をつけると「ノープロブレム」との回答。これは割れた皿でも大丈夫という価値観なのか、日本人だから舐められたのか。最悪の気分で店を出る。気持ちを入れ替え、最後の宿へ向かおう。
ラドブリツァとはブレッドの隣町である。そこのペンションに宿泊したのだが、この旅最後の夜に最高の宿に泊まった。家族ぐるみで歓迎してくれて、ビールも進む。自家製のワインも出してくれた。ラドブリツァ、小さな街だがスロベニアに行った際には立ち寄ってみてほしい。
翌日はブレッドから久しぶりのミュンヘンへの移動である。間もなく帰国だ。空港に着いたが、ユーロが余ってしまいレストランで使い切ることにした。ビール、ビール、ビール。最後の最後で贅沢。ベロンベロンになり酔いもまわった私は最高の気分で飛行機に乗り込んだ。
さらば東欧、またいつか。
早朝、ザグレブ行のバスに乗り込み西洋のオリエント、サラエボに別れを告げる。旅立ち特有の哀愁を感じながら風情に浸っていると、早速トラブルが発生した。どうもスーツケースを乗せるには別料金がかかるらしい。それについては存じていたが、案外と高い値段だ。昨日散々飲み食いした私は、ボスニアの兌換マルクをほとんど使いきってしまっていたので、支払いが出来なくなってしまった。
そこでタバコという手段を使うことにする。以前の欧州紀行で記したように、ハンガリーではミルキーの飴を使って同じようなピンチを乗り切っていたのだが、その後に買っておいたタバコが役に立った。運転手は非常に喜んでくれたみたいで、しきりに私に話しかけてきた。こんなこともあろうかと準備していたタバコが絶大な効果を発揮したのだった。
クロアチアへの道中、大統領の移動の為に道路が大渋滞になった以外、何事もトラブルが起きなかったので、セルビアの時ほどバスは遅れずクロアチアの首都・ザグレブにバスは到着した。いざ観光をしよう、と思ったが既に夕暮れ時だ。旧ユーゴスラビアでの移動は道路が悪いために半日以上かかることが多く、その日は宿の近くの八百屋を覗いたりするなどして一日を終えた。
翌朝、早速観光へと向かう。ザグレブの様子はハンガリーやボスニアのオリエンタルな雰囲気とも、セルビアの様な旧共産圏特有の重圧感とも違い、非常に西洋的な街で物価もかなり上昇してきた。例えるなら、チェコ・プラハやオーストリア・ウィーンの様なオシャレな雰囲気がどことなく感じられる。事実、ザグレブは小ウィーンとも呼ばれているらしい。クロアチアはドブロブニクが観光都市であるので、残念ながらこの「小ウィーン」は見どころがほかの都市とも比べて少なく、訪れる人は素通りしてしまう人も少なくない。しかし、素通りするには物凄く勿体ない魅力的な街なのである。何といっても高台から見渡した赤レンガのザグレブの街の景色はブダペストの夜景にも勝るとも劣らない光景だ。また、非常に日本文化が流行しているようで、ある少年のスケートボードには侍という漢字が書かれていたり、駅前ではYAMATOさんという日本人の太鼓舞踊の方が演舞をおこなっていて大盛況だった。私も少し参加し、クロアチアの方々に鶴の折り紙を教えるなど、日本とクロアチアの友好にちょっぴりと貢献したのであった。
そしてクロアチアといえば、ネクタイが名物である。クロアチアの兵士が出征前に愛する人からもらったスカーフがネクタイの原型と言われている。それを見た他国の兵士が羨ましがり、世界的に普及したようだ。このクロアチアのネクタイを私も一本購入したのだが、非常に素晴らしい出来である。是非、クロアチアに訪れた際にはネクタイを購入してみたらどうであろうか? 愛する人にネクタイを巻いてもらえたらなお、最高であろう。ああ、羨ましい。
ザグレブの観光に区切りをつけ、次にスロベニアの国境にあるサモボルという街に向かった。サモボルは旧市街があり、宮城県で例えるなら多賀城や白石といった場所である。きれいな街並みに、活気のある旧市街、そして広々としたホテル、夏はここでゆっくり過ごしたい……それくらい心休まる街であった。サモボルの名物はサモボルスケ・クレムシュニトというとても甘いケーキだ。このケーキとコーヒーがセットで150円、ザグレブよりもぐっと安くなる。味のほうは、非常に甘い、甘ったるいといったほうがいいのかもしれない。それでも素敵なサモボルの街と相まって大満足であった。
<スロベニア>
次の日、ザグレブに戻り特急電車に乗り込む。次の目的地はこの旅最後の国、スロベニアの首都リュブリャーナである。検問は難なく通過、逆に日本人が珍しいようで色々と質問してきて話が弾んだ。「スロベニアを楽しんで、良い旅を」とのこと。
列車は2時間ほどでリュブリャーナに到着した。ユリアンアルプスが間近に見える山の街だ。リュブリャーナは完全に我々が想像する西洋である。水の都ヴェネツィアまでも近く、むしろイタリアの地方都市といった雰囲気が強いのかもしれない。リュブリャーナでの宿は、昔刑務所だった建物を改装したところだった。鉄格子や部屋の仕組みなどがユニークでそれだけで楽しませてくれる。そんな刑務所ホテルで一夜を迎えるのであった。
翌朝、リュブリャーナの観光を始めるが、あいにくの月曜日でほとんどの建物が閉館だ。しかし、リュブリャーナは街を歩いているだけで楽しい。街の中心にある三本橋やピンク色の教会、街の中心にありスロベニア全土を見渡せるリュブリャーナ場など見どころは沢山ある。十分にそれを満喫した私は、アイスクリーム屋に立ち寄った。うーん、おいしい! 日本のものとはまた違った美味しさだ。さっきから甘いものの食べ過ぎのような気がしないでもない……。
太陽も傾き始め次に山のふもとの街、カムニクに行くことにした。実はカムニクの情報については全く知らず、行き当たりばったりで行くことにした目的地である。実際に行ってみると先ほどのサモボルの様な街であったが、こちらは観光地という雰囲気はあまりなく、ありのままの人々の生活が伝わってくる街であった。カムニクは英語が通じる人が本当に少なく、ジェスチャーなどでのコミュニケーションが多く苦労したが、相手も私のことを理解してくれようと熱心であり、とてもありがたい気分になった。また、街の人も明るく、小さな小学生の女の子が「ダン!(スロベニア語でこんにちは)」と挨拶してくれるなど暖かく気持ちの良い場所で、まるで天使達が住む街を見ているかの気分であった。
翌日、カムニクを出るとスロベニアの観光地、ブレッド湖はと向かった。ブレッド湖は世界遺産にも登録されている有名な湖で、湖の中央に小さな小島がある。残念ながら冬季の為に凍結して小島に行くことはできず、ブレッド湖を周遊する。
周遊を終え近くにある世界的に有名なカフェに入る。そこで出されたのが割れて欠けた皿であった。流石にイラっときて、マスターに文句をつけると「ノープロブレム」との回答。これは割れた皿でも大丈夫という価値観なのか、日本人だから舐められたのか。最悪の気分で店を出る。気持ちを入れ替え、最後の宿へ向かおう。
ラドブリツァとはブレッドの隣町である。そこのペンションに宿泊したのだが、この旅最後の夜に最高の宿に泊まった。家族ぐるみで歓迎してくれて、ビールも進む。自家製のワインも出してくれた。ラドブリツァ、小さな街だがスロベニアに行った際には立ち寄ってみてほしい。
翌日はブレッドから久しぶりのミュンヘンへの移動である。間もなく帰国だ。空港に着いたが、ユーロが余ってしまいレストランで使い切ることにした。ビール、ビール、ビール。最後の最後で贅沢。ベロンベロンになり酔いもまわった私は最高の気分で飛行機に乗り込んだ。
さらば東欧、またいつか。