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【連載・津波被災地を走る③】仙台港~松島町

 10月中旬の日曜日、最高気温21度。空には爽やかな秋晴れが広がっています。
 
 「津波被災地を走る」第3回は、仙台港の最寄り駅である中野栄駅からスタートします。




・多賀城市

 国道45号線を北上し、まず向かうのは多賀城市です。


 人口は約6万2千人。仙台市の北東に位置しています。
 内陸の町とはいえ、商業施設が集中する道路は海から1kmと離れていません。
 東日本大震災では町の3分の1が浸水。200人近くの命が失われました。
 通過した橋の向こう側に、多賀城公園仮設住宅が見えました。


 市内6カ所には応急仮設住宅が設置されています。
 10月下旬の時点で373世帯が入居しているということです(多賀城市ホームページより)。
 東側へ自転車を走らせると、陸上自衛隊多賀城駐屯地があります。


 隊員は災害訓練を十分に積んでいましたが、津波で車両が浸水したために即時の出動が制限されたといいます。
 それでも、被災者の救助や犠牲者の捜索の重要な拠点として、今日まで機能してきました。

・七ヶ浜町

 さらに東側には、海に面した七ヶ浜町があります。
 半島状に海に突き出した形になっていて、日本三景・松島の南部を形成しています。


 それでは、七ヶ浜町の周囲を海岸に沿って走ってみましょう。


 津波の被害がなかった南西部には森林が広がっています。

 町内のあちこちに、津波避難場所を示す看板が…
 震災後に設置されたもののようです。




 沿岸部に出ると、景色は一転。





 コンクリートが剥がれてとても自転車では通れない歩道、針金のようにひしゃげたガードレール、道路わきに散らばる金属片…。

 あの日襲った津波の爪痕が、今も克明に残されていました。
 無残な光景を覆う緑が、3年半の月日の経過を感じさせます。

 堤防や建築物など、インフラ設備の工事が各地で行われていました。




 何台もの大型トラックが、狭い道路を行きかっています。
 砂浜では15人ほどの人々がサーフィンに興じていました。





 七ヶ浜は県内有数のサーフィンポイント。
 震災後はがれきや水質汚染の影響で浜の利用が制限されていましたが、2012年6月に仙台地区で震災後初のサーフィンコンテストが開催されました。
 巧みに荒波を操るサーファーたちの姿は、一つの復興の象徴と言えます。

 半島の中盤に差し掛かったところで、一軒のラーメン屋「浜しん」を発見!
 ここらで休憩。昼食タイムといたしましょう。


 店内から松島湾の絶景が望める絶好の立地です。


 店内はサーファーたちのグループで賑わっています。
 注文したのはシンプルに「ラーメン(450円)」。


 鶏ガラベースの優しいスープが冷えた身体に染みわたります。
 ああ、エネルギーがみなぎっていく…。
 七ヶ浜を訪れる人々の胃袋を満たす、数少ない食堂の一つです。

 「君はこれからどこへ行くんだい? 一緒に多聞山へ行かないかい?」
 隣でラーメンをすすっていたおじいさんに声をかけられました。
 今年で72歳になるというおじいさんは、クロスバイクでツーリングに来て、これから「多聞山」という松島湾が一望できる観光スポットへ向かうのだそうです。
 前回と同じくクロスバイクライダーに遭遇するという展開に、気分も高まります。
 これは便乗しないわけにはいかない!というわけで…


 健脚なおじいさん(72)の後について、絶景スポットへ向かうことにしました。
 ペダルを漕ぐこと10分でたどり着いた小高い丘に自転車をとめ…




杉林に囲まれた階段を下りていくと…


 そこには思わず息を呑む絶景が広がっていました。
 塩釜港に出入りする船舶の往来が間近で見られます。
 おじいさんの話によると、ここ多聞山は松島湾の絶景を拝める四大スポット「松島四大観」の一つなんだとか。
 「ここに最後に来たのは、確か20年前だなぁ」と感慨に浸るおじいさん。
 「松島や~ああ松島や~松島や~」という松尾芭蕉の句を想起する筆者。
 時がゆったりと流れていきます。
 素敵な出会いと雄大な自然に感謝。ありがとうございました!

・塩釜市

 おじいさんと別れた筆者は、再び多賀城市に入りました。
 次に通過するのは漁業が盛んな港町、塩釜市です。

 震災前は、かまぼこなどの練り製品の生産量日本一を誇っていた塩釜市。
 しかし津波や揺れの被害で、かまぼこ会社各社は生産量の減少にせまられたといいます。
 そのうちの一つが、今回訪れた「武田の笹かまぼこ」さんです。


 1階は、工場見学ができる笹かまぼこ工場と商品販売所になっています。
 塩釜港のすぐそばに立つ同社。製造ラインは津波によって海水に浸され、販売所はヘドロで埋まったといいます。
 それでも従業員らの必死な努力で、震災から3カ月後の6月に営業を再開しました。


 販売所の壁には、高さ50cmの部分に津波浸水高を示すシールが張られています。

 受付で依頼をすると、従業員から笹かまぼこの製造工程を丁寧に説明してもらえます。


 創業以来の伝統で、石臼で魚肉を練り上げるのが特徴の同社。


 機械で形成された笹かまぼこが次々と焼かれていく様子は、いくら見ていても飽きません。
 「よろしければ召し上がりませんか」。工場内の従業員がガラス戸を開け、焼きたての笹かまぼこを差し出してくれました。

 こんがりと焼き色がついたプルプルのかまぼこから、上品な海の香りが漂います。
 一口かじると、これがもうアッツアッツでびっくり仰天!
 適度な弾力が心地よく、生臭さは一切なし。魚の旨みだけが口内に広がります。
 これぞ、由緒正しき笹かまぼこなのでしょう!

 再生の証、しっかりと噛みしめました。
 ごちそうさまでした。


 続いて向かったのは、塩釜水産物仲卸市場です。
 マグロを中心とした三陸の海の幸が一堂に会する場だと伺っていたので、大きな期待を寄せていたのですが…


 門が閉まっていました!!
 これは一体どういうことなのか。
 漁港を歩いている漁師さんに尋ねると、遅くとも14時には取引を終えてしまうとのことです。
 時計の針は14時半を指しています。どうやらタイムアップのようです。
 「朝は3時から開いているからまたおいでな」と漁師さん。
 早起きして、出直してきます…。

・いざ、松島町へ

 さて気を取り直し、本日のゴール、松島町を目指して国道45号線をひた走ります。


 利府町を通過し、北上を続けること30分。


 松島トンネルを抜けると…



 悠久の波が作り上げた大小の島々、それから遊覧船を待つ大勢の観光客が筆者を待ち受けていました。
 日本三景の絶景を前に、たまった疲れが癒されていきます。

 松島湾には大小260ほどの島が存在しています。
 松島町の津波被害は他の沿岸地域に比べて軽微で済んだといいます。
 島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたからだといわれています。

 観光の町、松島。
 これからは特産品の牡蠣が旬を迎え、一段と町が活気づきます。

 この日は時間の都合上、遊覧船に乗れませんでしたが、9月中旬に筆者が乗船した際に撮影した写真をご覧にいれましょう!








 松島や~ああ松島や~松島や~

 次回は松島町から石巻市を走ります。

 (文責:立田)
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