【特別インタビュー】男鹿の伝統 若い世代へ ~子どもにつなぐなまはげ文化~
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12月31日、秋田県の男鹿半島では面をつけた若者が家々を回り、穢れを祓うことで新年の息災を祈る。これが全国的に有名な「なまはげ」である。なまはげとは山の神の化身であるといわれている。男鹿半島の中央にある真山、本山、毛無山の三つの山は通称「お山」と呼ばれ、なまはげはこのお山から下りてくるとされており、これらの山は信仰の対象となっている。なまはげの行事としての形態は集落ごとに差異が存在するが、山から来るという点で信仰の共通性が見られる。お山は修験地であったため、それが信仰と関係している可能性も考えられている。
なまはげの語源については、地元の方言で低温やけどを意味する「ナモミ」を剥ぐ、「ナモミ剥ぎ」がなまって「なまはげ」となったとされている。いつも囲炉裏にあたっている怠け者にできるとされているナモミを剥ぐことで怠け心を戒めることが目的である。なまはげ館の太田忠さんは、「なまはげの怖さは心の戒めであり、いつの時代でも共通する人間としての習わしを忘れないようにすることがこの行事の意味ではないだろうか」と語った。
現在、大晦日のなまはげ行事は約80の集落で行われている。その中でも昔ながらの所作を継承している真山地区の保存会の会長である菅原昇さんに行事の様子について伺った。
大まかな行事の流れを説明すると12月中旬頃からなまはげの衣装である「ケデ」の作成や、面の手入れ等の準備を始める。12月31日に公民館で面に酒を吹きかける儀式を行い、所作を確認し、神社にて御神酒をいただくことでなまはげ役の若者は本物のなまはげとなり、行事が始まる。なまはげは家々を回り、災禍を払い、豊作・豊漁等の吉事をもたらした後に、使用したケデをお堂に納め、行事は終了する。
家を訪問する際の所作については細かく決まっている。まず、なまはげは7回四股を踏んでから座敷に上がり、家中を探し回る。その後お膳が出され、5回四股を踏んでからお膳の前に座る。次に、その家の主人に対して、今年の収穫や、嫁と子供の様子などについての問答が行われる。それが終わると3回四股を踏み、もう一度家中を探し回り、「来年もまた来るから元気でいろよ」と言い残し、その家を後にする。なまはげが落としたわらや、手をつけなかったお酒は縁起のいいものとされている。
しかし、お膳の料理を作るのが大変なことや、落ちたわらなどの後片付けが大変であることなどを理由になまはげを家の中に入れることを断り、外でのお祓いで済ます家も増えている。また、高齢化の進行によりなまはげを実施する人手の減少や、なまはげとなるための未婚の男性という条件を守りきれないなどの影響が出てきている。
そこで保存会は10年ほど前から小学生になまはげについて教える試みを続けている。なまはげの実演やケデの作り方を教えるなどの活動をし、子どもたちに関心を持ってもらい、この行事を継承しようとしている。この活動の成果か、子どもに頼まれたことでなまはげの受け入れを決めた家族もいるということだ。菅原昇さんは、「なまはげをなぜ行うのか、自分たちはどのような気持ちで行うべきなのかを考えることが大切だ」と語った。
また、なまはげは観光資源としても地元に恩恵をもたらしている。なまはげに関連する施設や商品はもちろんのこと、新しい芸能までも生み出している。その中で、なまはげ太鼓のライブを行っている団体である「恩荷」のメンバーである純さんに話を伺った。
なまはげ太鼓とは、神の使いであるなまはげが太鼓を演奏することによって旅行者の安全を祈る伝統芸能である。恩荷のメンバーの方々は、他の仕事をしながら、男鹿温泉交流会館五風でのライブや、祭りなどのイベントでの演奏を行っている。下は高校生から、上は30代まで、14人のメンバーが地元である男鹿市の活気を取り戻すために自分たちができることをしようと活動している。そのパフォーマンスは、これを見るためだけで十分男鹿に行く意味があると言われるほど好評である。
しかし、恩荷の方々には、一つの悩みの種がある。それは、後継者不足である。それを解消するために、小学生に太鼓を教えるなどの活動を行い、将来のメンバーを確保しようと奮闘している。
なまはげ行事、なまはげ太鼓双方において、小学生に教えることで伝統を受け継いでいこうと努力している。
伝統は、受け継ぐ人がいなければどんなに素晴らしいものであってもいずれ消えてしまう。子どもたちに、どのようなことを教え、どのような思いを伝える事ができるかに、地域文化の存亡がかかっていると言っても過言ではない。