読み込み中

【とんぺー生の夏休み2019】選評 小説部門

 今回集まった4作品は、どれもキラリと光るものがあり、選考会はとても生き生きしたものになりました。書き手の意気込みに応えるべく、一つ一つの言葉を見落とさないように、丁寧に読み込むことを心がけました。


 「うっかり帳」。「うっかりさん」である「先輩」と、彼の「うっかり」を記録していく「僕」のお話です。特に、「先輩」の「うっかり」を楽しんでいた「僕」が、彼が抱え込んでいた哀しみに気付く瞬間が、切実に描かれており、高く評価されました。「コーラに黒い空が写っていた」という風景描写には、作中人物の暗たんとした思いが巧みに織り込まれています。堅実に小説世界を作り出す冒頭部や、「お冷や」「コーラ」という小道具の対比など、構成においても見事でした。「いじり/いじられ」「自虐」といった、今日的な人間関係の主題が明確に示されており、多くの若い読者が共感できるように思います。
 美点は尽きない一方、選考会では、宙ぶらりんとなってしまった「僕」と「先輩」の同性愛をほのめかす関係が指摘されました。また、ある選考委員からは「道徳的」という言葉が出ました。確かに、「うっかり帳」を「びりびりに破いて捨ててしまった」という「僕」の行為は、一見衝動的ではあるものの、実際には非常に理にかなった行動であり、その意味で、小説がきれいに着地しすぎてしまった感もあります。今村夏子の小説が好きな私は、「先輩」だけでなく「赤の他人」の「うっかり」まで記録することで、「うっかり帳」を肥大化させた語り手の「僕」が気になりました。あくまで勝手な想像なのですが(選考会では反対されました)、物語の終盤がもし、「うっかり帳」の記録者にすぎなかった「僕」の狂気性に、次第に焦点を当てていく構成を取っていたのなら、この小説は、読者のみならず作者でさえ「共感できない」、誰も見たことのない新たな地平へと飛翔していったのではないでしょうか……いやいや、このような無責任な評ができるのは、何よりも、作者が築いた小説世界がそのような跳躍力を秘めていると確信しているからです。今回は圧倒的な票数を集めての受賞となりました。駆け出しの小さな文学賞が「うっかり帳」という素晴らしい作品に出会えた幸運を、とてもうれしく思います。

 「ラッキーめんつゆボーイ」。「調味料の結婚披露宴」という妄想、『雪国』という飲み屋の回想、調味料コーナーで「同じ学年のかわいい人」と出会う夢が重なり、最後に「俺」の視点で現実が語られるお話です。冒頭の「調味料の結婚披露宴」の、「三倍濃縮めんつゆ」の語り口は軽妙で、良い意味でナンセンスだと思いました。また、『雪国』での、「右の耳からカマキリの子供がわさわさと這い出てきている」「タケさん」も、カマキリまみれの床を掃除する「チョモ造」も、とても好きでした。
 ただ非常に惜しかったのが、それだけでも充分魅力的な「披露宴」も「飲み屋」も、物語を紡ぎ切るだけの持続力を持ち合わせていなかったことです。時間軸が分かりづらい重層的な作品は、短編文学賞ではどうしても見劣りしてしまうように思います。また、それらがいわゆる「夢オチ」で終わってしまったのも、少し寂しく感じました。次の作品では、現実の理性を挟むことなく、作者が発見した独自の世界を存分に堪能できたらと期待しています。

 「止まってくれ!」。台湾での海外プログラムに参加した「私」がスマートフォンをなくして難儀するお話です。台湾の様子が、平易な文章で淡々と描かれており、好感を持ちました。
 ただ、この作品が本当に持ち味を発揮するのは、小説よりも、むしろエッセイなのではないかという気がします。選考会では、異国の地でスマートフォンをなくすという大事件に見舞われた「私」の心情を、もっと知りたいという意見が多く出ました。確かに、作品全体がやや平板な印象を受けます。また、これは「ラッキーめんつゆボーイ」にも言えるのですが、固有名詞の多用は、慎重になるべきだと思います。両者とも、独自の世界観や体験を描こうとトライしている作品なので、安易な固有名詞による形容によって、それを知らない読み手が小説世界から意識的にはじき出されてしまうのは、あまりにももったいないです。特に、等身大の大学生を描く際には、作者が思う「等身大の大学生」像が、しっかりと読者にイメージできるものなのか、客観的に見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

 「祭囃子と少女の声」。「あちら」と「こちら」の狭間で、「私」と「少女」がせめぎ合うお話です。まず、4作品中唯一、主人公が大学生でない点は、それだけで評価できるように思います。また、次々と連なるイメージだけで、小説を読ませる推進力を感じ、とても興味深く読みました。
 しかし、やはり「分かりづらい」というのが大多数の選考委員の感想でした。ある事件で死にゆく「私」と、生き残る「少女」という物語の背景は、みんなで話し合い、何とか推測できたものの、それだけでも読者に労力を強いることになります。物語の余白が、解釈の余地を持たせているのか、それとも単に不親切なのか、見極めが肝心です。個人的には、「新聞の切れ端」の記事の内容が挿入されていれば、背景が分かるだけでなく、「私」の視点が微妙に変化し、物語に切れ味が生まれるのではないかと考えました。私自身、この種の漠然とした、意味の捉えづらい小説は好きなのですが、推すことができなかったのは、鍵となる「祭囃子」の聴覚的な描写や、「祭り」に象徴されるであろう異界性が、いま一つ伝わってこなかった点にあります。ぜひ次の作品では、作者が抱く具体的なイメージを、少しだけ読者に示してもらえたらうれしいです。
とんぺー生の夏休み 828139041023957776
ホーム item

報道部へ入部を希望する方へ

 報道部への入部は、多くの人に見られる文章を書いてみたい、メディアについて知りたい、多くの社会人の方と会ってみたい、楽しい仲間と巡り合いたい、どんな動機でも大丈夫です。ご連絡は、本ホームページやTwitterまでお寄せください。

Twitter

Random Posts