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映画「有り、触れた、未来」原案 齋藤幸男先生 時代を超えて「命」と向き合う

  本学で教職論の授業を担当している、非常勤講師の齋藤幸男先生の著書「生かされて生きる~震災を語り継ぐ~」を原案とした自主制作映画「有り、触れた、未来」は、先月3日から宮城県内で先行上映され、同月10日から全国で上映が開始された。震災から10年後の宮城県を舞台に、「命」と向き合い、前に進もうと葛藤する人々の様子を描く本作について、齋藤先生に聞いた。(小滝真悠)


映画のラストを飾るのは、
東松島市の「青い鯉のぼりプロジェクト」(斎藤先生提供)



 映画の登場人物は、交通事故で恋人を亡くした元バンドマンの女性(桜庭ななみ)、大災害で家族を失い、生きる希望を無くした少女(碧山さえ)とその父親(北村有起哉)、将来に不安を感じながら「魂の物語」を伝える若手舞台俳優たち(舞木ひと美ら)。「命」と向き合ったいくつもの物語が複雑に折り重なり、互いの傷を癒やし、前に進もうと葛藤する様子を描く。

左から、映画の原案著者の齋藤幸男先生、
山本透監督、
本作のプロデューサー兼女優の舞木ひと美さん



原作ではなく原案

 「お願いされたのが『原作』だったら、断るつもりでした」。東日本大震災で亡くなった生徒を映画の題材にはしたくないが、命を扱う作品の中で、一つの切り口として使ってもらうなら―根っこにある「命とどう向き合うか」を描くのならば。もしも避難所や遺体安置所などの様子をそのままとり上げていたら、限られた地域の、限られた時期のドキュメンタリー映画になってしまうと齋藤先生は考えたという。



コロナ禍は心の震災

 東日本大震災のときは、泣いたり笑ったり、抱き合ったり、支え合ったりすることができた。しかし、コロナ禍の子どもたちは泣き顔も笑顔もマスクに隠され、手を握ることすら難しい。そのような状態を、齋藤先生は「心の震災」と表現する。感染防止対策で、他者と触れ合うことが制限されている。思春期の子どもたちが表情に乏しいと感じているという。



 閉塞感の漂う時代において、「有り、触れた、未来」を通して、希望を捨てないで生きる力を届けることができる。特に、困ったときはお互い様という日本人特有の精神も、他者を気遣いながら暮らしているコロナ禍では、多くの人たちに理解されるだろう。「有り、触れた、未来」は、震災からコロナへの約10年を経て、特殊から普遍へ昇華された、時代が生んだ映画でもあると、齋藤先生は語っている。


対話の芽に気付いて

 日常生活における「会話」から、互いの意見を深め合う「対話」へ。フランスで実践されている「子ども哲学」を参考に、劇中では5歳の保育園児らが命について話す場面が取り入れられた。このシーンの撮影を希望した齋藤先生は、「5歳の子たちが『命ってね』と話すのを見て、子どもたちのなかに眠っている対話の芽に気付いてほしい」と語る。幼少期に芽生えた対話の力は、学校教育の中でしっかりと育まれているのか。国際化の時代に、人間関係を深める「対話」ができるのか。このシーンは、子どもの未来に対する、大人へのメッセージでもある。



 生きづらさを抱えるすべての人に希望を与え、子どもたちの教育のあり方に警鐘を鳴らす本作品。上映情報は、公式ホームページに記載されている。山本透監督とプロデューサー兼女優の舞木ひと美さんなどに関する記事は本紙ホームページ上に掲載中だ。

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