【特集・東北大新聞史をひもとく】創刊、廃刊の98年 東北大の学生新聞史
■戦前:政府の圧力下で誕生
本学の学生新聞の歴史は、本学が東北帝国大学だった1928年に『東北帝大法文時報』が誕生して始まった。
当時は政府による学生の思想取り締まりが強化されており、本学も例外ではなかった。その状況下で現在の法学部、文学部、経済学部の前身である法文学部の学友会組織「強立会」から学生有志の企画で発刊された。
誕生時から『東北帝国大学新聞』として全学的な新聞になることを目指したが、4年後に法文時報は廃刊となる。
契機となったのは、32年学生が壇上で学生課を批判する演説を行った入学宣誓式事件である。大学は学生を停学・訓戒処分としたが、これを機に強立会を学生による自主的な組織にする動きが生まれた。しかし協議は決裂し強立会は解散、法文時報も廃刊となった。
4年後には当時の学生と教授が学校側に働きかけ『東北帝国大学新聞』を創刊した。だが38年の人民戦線事件で本学でも検挙者や逮捕者が出て「東北帝国大学新聞会」も壊滅状態となり、同紙は自然廃刊に至った。
■戦後:分裂と廃刊
戦時中は本学で学生新聞が発行されることはなかったが、戦後『東北学生新聞』が東北地方の大学・高等学校・専門学校の学生、生徒を対象に創刊された。50年には100号を区切りとして次号から『東北大学新聞』と名称を変える。
一方前期教養課程の学生らが51年、『東北大学教養部新聞』を創刊した。当時存在した富沢地区の分校第一教養部内の団体が発行したが、55年に『東北大学新聞』と合併。新たに「東北大学新聞会」を結成し全学的な新聞を作ることを目指した。
しかし66年に新聞会は学友会を離脱し「東北大学新聞社」と改名した。当時の東北大学新聞には「内容が一党一派に偏したもの」と批判があり、編集委員を公選するという決議が採択されていた。この決議を受け離脱したのである。
これに対抗する形で学友会の公選制で選ばれた学生らで東北大学新聞会が発行する『東北大学新聞』が誕生する。同名の新聞が20年以上併存していた。新聞社側の『東北大学新聞』は89年1月に休刊。学友会版の『東北大学新聞』は現在学友会報道部が発刊したもの、すなわち本紙へとつながっている。
=詳細は2面へ=