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【特集・部室から500キロ 離島を訪ねて】 小学校が一夜で埋没 気付く「大事なもの」

 大島で一泊した後、我々はヘリコプターで目的の島である、三宅島に向かった。本土に暮らす我々にとって非日常的な体験であるヘリコプターだが、島の住民にとっては頼もしい交通手段。伊豆諸島を結ぶ生命線であり、なくてはならないものだ。

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 約2200人が暮らす三宅島の面積は、わずか55平方キロメートルで山手線内側とほぼ同等である。温暖な気候や豊かな自然が特徴だが特筆すべきは島の中心にそびえる火山、雄山だ。雄山は1962年、83年、2000年と約20年ごとに噴火しており、そのたび島民の生活に大きな影響を与えてきた。三宅島では島内のいたるとことで噴火の跡を見ることができる。島の西側の阿古地区は、83年の噴火の際に甚大な被害を受けた。火山から噴出した溶岩流によって、330世帯の住家や阿古小・中学校、給食センターなど主要な公共施設が一夜にして焼失埋没した。現在は堆積して固まった溶岩流の上を歩くことのできる、火山体験遊歩道となっている。火山体験遊歩道からは、溶岩流によって押しつぶされた小学校を見ることができた。遊歩道の上から見えるのは黒く焦げた小学校の3階部分だけで、1階と2階は溶岩に埋まっていた。校舎の横にあった体育館の屋根は溶岩によって押しつぶされており、太い鉄骨があたかも細くて貧弱な針金のように曲げられていた。筆者はそれらの光景が一晩にして成ったことが信じられず、驚きとともに自然の強大さに恐怖を感じた。


 しばらくすると、島が夕暮れ時を迎えた。切り立った崖に夕日が注いだ。深い青に染まった海と、茜色に染まった崖とのコントラストは圧巻で、荘厳な雰囲気さえ感じさせるほどだった。夕陽との相性がいいものといえば、島の銭湯が思い出される。今回は、筆者とOさんともに島唯一の銭湯に足を運んだ。あいにく露天風呂は閉鎖されていたが、室内風呂からでも黄昏時を迎えた太平洋を一望することができた。濃い温泉に浸かりながらOさんと一日を振り返り、ぜいたくなひと時を過ごした。


 三宅島の植物も本土と異なった趣がある。海岸沿いは異国の地ハワイをほうふつとさせるようなヤシ科の木の葉が海風に揺れていた。少し奥に歩を進めると、青空と黄金に染まった草原が広がっていた。そこで深呼吸すると、草と海の匂いが鼻腔に広がり、島の早い春の到来を実感した。時が経つのを忘れるほど、島の春の始まりは美しさに胸が高鳴った。


 今回は観光としてではなく、報道機関として伊豆諸島に行ったため、取材ももちろんのことだ。島の生活について、島民の方にお話を聞いた。2000年に三宅島で火山が噴火したが、三宅島観光協会の鹿野さんの話によると、現在は火山による生活への影響はほとんどないという。また、噴火以降島全体が復興しており、火山やそれに紐づいた人々の生活の経過が見られるのは、三宅島の随一の魅力だと語った。本州から移住してきたというMさんは、島のいいところについて「余計なものがない」と話した。「ものが少ないんですここは。生活に困る程ではないけれど。だから大事なものが見えやすい。本当に大事なものが何かここに来て初めて気付いた」という。


 一泊した後、飛行機と新幹線で帰宅し、3泊4日の取材旅行が終了した。伊豆諸島には多くの魅力があったが、ここでしか体験できない自然の力強さを全身で体験できることが最も魅力的だと感じた。機会があればぜひ訪れてみてほしい。
(スティーブン・リュウ)
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