【欧州紀行2012―⑧】 ボスニアヘルツェゴビナ・サラエボ 紛争の記憶と復興への決意
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ようやく到着したバスに乗り、サラエボに向かう。この時点で私は疲労困憊だったので、ぐっすりと眠ってしまった。ふと、起きてみるとバスは霧と雪に覆われた山々の中を走っていた。何と幻想的な光景だろう、その景色は今でも私の眼に焼き付いている。国境も難なくクリアし、バスはサラエボに到着した。しかし、予想外のトラブルが起こる。ボスニア・ヘルツェゴビナには2つの国家が存在している。片方にはボスニア人とクロアチア人が、もう片方にはセルビア人が生活している。セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナには未だに大きな禍根が存在しているようで、バスはサラエボではなくセルビア人側の東サラエボに到着してしまった。バスターミナルの周りには何もなく、タクシーすら存在しない。仕方がないので近くのスーパーで野宿しようとしていると、丁度タクシーが通りかかった。何とか、そのタクシーを拾ってサラエボの宿に到着したときには既に深夜になっていた。結局この日は散々な目にあってしまった。
サラエボの朝は早い。サラエボに住むボスニア人の多くはイスラームだ。彼らのコーランで目が覚める。昨日の疲れを癒し、十分に休養を取った私は早速、サラエボの街を散策しに向かった。サラエボもまた今までの街とは大きく様子が異なる。西欧的でもなく、共産圏特有の雰囲気でもなく、オリエントテイストな街である。どことなく中国やトルコの街並みに似ていて、アジアの雰囲気を感じた。サラエボといえばコーヒーである。早速コーヒーを頼むと、ドロドロのコーヒーが出てきた。味は、とても甘い。そして上澄みを丁寧に飲んでいかなければならないので大変だ。地球の裏側ではこんな風にコーヒーを飲んでいるのかとしみじみと感じたのであった。一緒に頼んだアイスクリームもコクがあって非常においしい。
そして夕食時、ガイドブックに載っているレストランへと入る。流石にガイドブックに載っているだけあって安くておいしい。また、サラエボのビールは非常に爽やかな味なので、ついつい飲み過ぎてしまった。こうしてサラエボの夜は更けていった。
サラエボはどの家も銃弾の跡が無数に残っていた。紛争後、この街を復興するには数十年かかるといわれている。が、驚異的な速さでサラエボは復興を遂げている。東日本大震災で被災した遠い故郷も必ず復興を遂げる、そう心に強く思ったのだった。