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【特集】震災を乗り越え、再び松島の空へ


 今年3月31日、松島基地の震災復興における節目となる出来事があった。ブルーインパルスが松島基地に帰って来たのだ。福岡県の芦屋基地からの帰還。しかしそこに至るまでの復興の歩みは、決して平坦な道ではなかった。 


 2011年3月11日、東日本大震災。かつてない大きな地震と津波が三陸沿岸を襲った。東松島市には2mの津波が押し寄せ、基地の隊員1人を含む1000人を越える人が犠牲になった。松島基地も津波の被害を大きく受けた。海岸沿いに生い茂っていた防潮林は壊滅。飛行訓練のために駐機していた戦闘機、救難機、ヘリコプター等はほぼすべて被災した。ブルーインパルス仕様のT‐4は予備の1機を除いて芦屋基地に展開していたために直接の被災は免れたが、松島基地の受け入れ態勢がなかなか整えられなかったため、2年にわたり芦屋基地に留まることになる。基地内部のライフラインは寸断され、菓子類などを分け合って生活する日々がしばらく続いた。


 しかし、松島基地に打ちひしがれている時間は無かった。全国から集まってくる救援物資と自衛隊員を受け入れる必要があったのである。震災発生翌日から基地隊員による滑走路の復旧作業が行われた。以降松島基地は被災地へ救援物資や災害派遣されてきた自衛隊員等を送る最前線の空輸拠点として利用された。他にも医療支援や沿岸の行方不明者捜索を始め、遺体搬送や炊き出しなど様々な支援活動を行った。「当時は全ての自衛官が災害派遣業務と基地機能の復旧業務で、とても大変な時期が続きました」と亀山さんは述べた。東北全体が着実に復興の歩みを重ねているように、松島基地は徐々に元の姿を取り戻しつつある。今年の3月にはブルーインパルス帰還の決め手となったT‐4用の簡易格納庫が完成し、正式な格納庫も今年度中の完成を予定している。現在青森県の三沢基地に移動して訓練を続けているF‐2用の格納庫は数年先の完成が見込まれるが、全ての格納庫は津波の被害に遭った経験を踏まえ、3mほど嵩上げを行って建設されるという。


  「震災を受けて、ブルーインパルスが地元松島に支えられてきたことを強く実感しました」と日高さんは語る。震災後にはブルーインパルスの帰還を願った周辺市民から1万6000名分もの嘆願が寄せられたという。ブルーインパルスの帰還は松島基地だけではなく、彼らを愛する周辺住民の悲願でもあったのだ。「震災後初めて東北で展示飛行を行った昨年の東松島の夏祭りで、『よく帰って来たね』と涙を流して喜んでくれる人もいた。改めてここ松島は私達ブルーインパルスの母基地なんだと痛感した瞬間でした」と日高さんは述べた。


 「T‐4の飛行訓練の音を聞いて『震災前の日常がようやく戻ってきた』と言ってくれる人がいた。ブルーインパルスの帰還は間違いなく東北復興の一つの証になった」と亀山さん。復興の象徴となった青い翼は東北の人々の希望を乗せて、今日も松島の空を飛ぶ。
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