読み込み中

【50周年記念企画】⑥大学新聞50年史

 本紙は今月25日をもって復刊50周年を迎える。先月号まで50周年企画として様々な企画を行ってきた。今回はその集大成として、これまで50年間を通して発行してきた新聞を俯瞰してみよう。




 まずは記念すべき復刊第1号。発行は1966年11月25日で4面構成、一部20円であった。当時の報道部の名称は東北大学新聞会であったが、東北大学新聞の題字は今と変わらない。本紙の歴史がここから受け継がれていると感じられる。内容としては各所からの挨拶、学生運動などの記事が目立つが、特筆すべき記事は学生新聞のあり方についての記事である。

 記事の中で学生新聞の位置づけを、「読者の要求を反映するもの」、「読者へ正しく問題提起をするもの」、「学内の情報を伝えるもの」、「読者相互の意思交流の場となるもの」と定義づけている。本紙の根底に通流する新聞観はこの定義づけによるところが大きい。これを反映したこの時期の新聞の特徴として、読者からの投書の多さが挙げられる。第1号における投書記事の数は全記事32本に対して12本を占め、読者の意見交換の場としての役割を新聞が担っていたことが伺える。

 ここからおよそ10年後、75年付近の新聞を見てみると、資金難のためか紙面が基本的に2面構成となっており、1面がその月のトピックスや主張、2面が書評やサークル紹介などの文化面となっている。この時期は学内において暴力や授業妨害を通じて主義主張を訴える過激な集団を非難する記事や投書が散見され、当時の大学の混沌とした状況が垣間見える。

 80、90年代になると、仙台の史跡を巡る「仙台歴史探訪」や現在の「さあくるどうでしょう」にあたる「サークル探検」、さらには四コマ漫画など、様々な親しみやすい連載企画が登場した。さらに89年には本紙の購読が無料となり、より学生に浸透する新聞にしようという当時の部員の意志をくみ取ることができる。一方で、当時話題となっていたキャンパス移転問題や新サークル棟の建設に関して、問題提起がなされたり賛否の分かれた読者の意見が掲載されたりもしている。ここから、学生に身の回りの問題について関心を抱いてもらいたいという意識も伺える。

 2000年代に入ると、国立大学の法人化に伴う東北大学の改革などが取り沙汰される中で、ISTUの導入など現在に通じるシステムの説明などが紙面を飾るようになる。この時期から「2人きりで深夜マラソン」「学食の丼ぶり制覇」など、ここまで見受けられなかった部員が体を張る「ネタ記事」が登場し、現在の記事構成の原型がこの年代にて完成したと言える。さらに06年の1月号から、新聞部から報道部に名称を改め、現在の体制での新聞発行が始まった。

 以上本紙50年の歴史を見てきて、その背景には投書などを通じた各時代の読者の支えが存在したことが改めて確認できる。読者無くして新聞の存在意義は無い。今後もより読者にとって面白く、示唆に富んだ新聞を作成することを通じて、読者の皆様とともに次の50年の歴史を刻んでいきたい。

* * *

 東北大学新聞復刊50周年に際して、学内の3団体様からお祝いをいただきました。東北大学短歌会様、東北大学学友会書道部様、東北大学漫画研究会様、御礼申し上げます。

 いただきましたお祝いにつきましては、小紙第433号4面及び5面に掲載しております。
特集 3155330661518877055
ホーム item

報道部へ入部を希望する方へ

 報道部への入部は、多くの人に見られる文章を書いてみたい、メディアについて知りたい、多くの社会人の方と会ってみたい、楽しい仲間と巡り合いたい、どんな動機でも大丈夫です。ご連絡は、本ホームページやTwitterまでお寄せください。

Twitter

Random Posts