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【書評】『神様2011』 川上弘美 講談社

 川上弘美さんの小説が好きだ。幻想的で不思議な雰囲気なのに、どこか日常を思わせる。例えば、本書に収録されている「神様」の冒頭。「くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである」




 「え、くまって、あのくま? 散歩に出る? くまと?」まあまあ、そう焦らずに。川上作品をたしなむためには、その「?」をいったん頭の隅に追いやることが大切なのである。とにもかくにも、くまと散歩に出るそうだ。「くまは、雄の成熟したくまで、だからとても大きい。三つ隣の305号室に、つい最近越してきた」。なるほど、それでそれで――こうして読者は、川上さんの小説世界へどっぷり浸ってゆく。くまと一緒に川原を歩き、弁当を食べ、昼寝をし、一日の終わりに抱擁を交わす。それはきっと「悪くない一日」であろう。

 ひとたび川上さん独自の世界に足を踏み入れると、日常と幻想の境界が曖昧になる。流れるような文体は心地よく、おまけに作中で描かれる食べ物からは、素朴ないい香りが漂ってくる。「ジブリ飯」ならぬ、「川上飯」といったところか。居心地よし、料理よしの川上ワールド。隣の部屋にくまが越してくるとしても、一度住んでみたい気もする。

 しかし、どうだろう。いったん住み始めてみたら、案外すぐに慣れてしまうものなのかもしれない。「あのこと」以来、私たちは知ってしまった。どんな非日常な出来事も、恐ろしいほど身近で起こってしまえば、それはいつしか日常と化してしまうのである。

 「神様2011」は、川上さんのデビュー作である「神様」の次に収められた作品だ。「神様」同様、「くまにさそわれて散歩に出る」話だ。構成も文章も、前出の「神様」とほとんど変わらない。優しく淡々とした雰囲気もそのままだ。

 だからこそ、日常に混じった非日常が、生々しさを持つ。作中に散りばめられた、「防護服」「SPEEDⅠ」「被曝許容量」「ストロンチウム」「ガイガーカウンター」……。語り手の「わたし」も、くまも、別段驚きもせず散歩を続ける。「『あのこと』の前は、川辺ではいつもたくさんの人が泳いだり釣りをしたりしていたし、家族連れも多かった。今は、この地域には、子供は一人もいない」。

 震災後、確かに日常は変わってしまった。あの日以前の暮らしに戻ることは、もうできない。「それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きてゆくし、意地でも、『もうやになった』と、この生を放り出すことをしたくないのです。だって、生きることは、それ自体が、大いなるよろこびであるはずなのですから」。あとがきに添えられた川上さんの言葉である。今日も変わらず、日常は続いていく。
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