【特別インタビュー】作家・村山早紀さん ~本を通して伝えたいこと~
https://ton-press.blogspot.com/2019/04/murayama.html
2017年『桜風堂ものがたり(PHP研究所)』、18年『百貨の魔法(ポプラ社)』が本屋大賞にノミネートされ話題となった村山早紀さん。長年、児童書を執筆し、近年では大人向けの小説も人気を博している村山さんに話を伺った。
―作家になりたいと思ったきっかけは
作家になりたいと思ったのは、小学1年の頃です。幼い頃から、自分で物語を想像して、家族や友達に話すのが好きでした。将来そういうことを仕事にしたいと思っていたら、「それは作家という仕事だよ」と親に教わったのが最初ですね。それまでは誰かに話して伝えるのが中心で、実際に文字で物語を書いたのは、小学3年の国語の授業でした。中学生の時は、未完の小説を大学ノートに書いて、友達と見せ合っていました。当時は刑事ドラマ・探偵ドラマが人気で、私も見ていたので、刑事ものや探偵ものをよく書きました。この頃は、ドラマのシナリオライターになりたいと思っていましたね。
―作家になった経緯は
友達とワイワイしながら創作するのが楽しくて、大学では漫研に所属していました。漫画家志望の子たちは自分の作品をコンクールや雑誌に投稿していて、この時初めて、投稿しないとシナリオライターにも作家にもなれないんだと気がつきました。19歳の時、初めて投稿した童話がたまたま最終選考に残りました。それでね、もしかしたら、私、すぐに作家になれちゃうんじゃないかって思ったんです。その後も投稿を続け、二次選考や三次選考に残って、あと少しと感じていましたが、結局最優秀賞を取ったのは、投稿を始めて10年経った頃でした。
大学を出た後は、アルバイトを転々としながら、物語を書きました。当時はFMラジオの最盛期で、そこでもアルバイトしました。『花咲家』シリーズ(徳間書店)に登場する、FMラジオで働く茉莉亜はこの頃の経験を基にしています。
気がつくと苦節10年という感じで、当時は大変だとは思っていませんでした。いつも惜しいところまで行ったのと、前の投稿の結果を見る前に、次の投稿の締め切りが迫っていたので、とにかく連続で書き続けていましたね。『ちいさいえりちゃん』が毎日童話新人賞で最優秀賞をいただいて、デビューすることができました。
―影響を受けた作品は
子どもの頃読んだ『ナルニア国物語』です。あの時代はまだ日本にはファンタジーが育っていなくて、海外のものをみんな読んでいました。
また、ちょうど戦後児童文学が盛んな時期で、日本を新しい自由な国にしよう歌うような作品を読んでいました。その影響で、テーマ性を大切にして児童文学を書くようになりました。
テーマ性という点でいうと、石牟礼道子さんの『苦海浄土』にも影響されました。水俣病の話なのですが、レース編みのような繊細な文章で、本当に美しく描かれているんです。あんな風に語れたら、と思いました。
物語はゼロからは作れません。食べ物を消化してエネルギーにし、血肉とするように、これまで読んできたものを消化して、再生産しているんです。
―児童文学と大人向けの違いは
大人向けならば、セーブせずに書くので、どんなことでも書けちゃう。例えば社会や世界の黒い側面は、子どもに見せたらショックを受けてしまうので児童向けの時は表現を考えています。その点では気を使わないので楽ですね。
他にも、児童向けの作品はとても丁寧に書くよう心がけています。子どもはまだ読むことや考えることにあまり慣れていません。子どもたちが読んで理解ができないなら、書いても意味がない。だから、大事に、丁寧に、伝わるように書くようにしています。
子どもたちには、疑うことを学んでほしいと思って書いてきました。物語の中でも戦争やテロの問題に触れていますが、その根本にあるのは、「絶対的な正義」という価値観が、基本的人権を脅かしている状況です。そんな時、疑うことの強かさや柔軟さが必要だと思うのです。世間の道徳の中で「正しい」とされていることについて、もう一度立ち止まって考えてほしいです。
子どものために本を書くとき、自分なりに大切だと思うことを書き残してきたつもりです。私が先達の本から受け取ってきたように。最近は大人向けの本も書かせてもらっています。ですが、私としては児童作家の看板を下ろしたつもりはないんですよ。
―よく使っているインターネットについて、どう考えていますか
長崎と東京を行き来して仕事をしているので、インターネットには本当に助けられています。IT関係に勤めている友達が多かったので、インターネットが一般に普及し始めた1990年代には、もう使っていました。
直接会いに行けない人とも交流できるインターネットは本当に便利で素敵だと思います。私は、ホームページが灯台のような存在になればと考えて立ち上げました。ここにいるよ、と発信し続けていれば、たくさんの人が集まってきます。一人じゃないよ、と語りかけることができるのです。
―大学生にメッセージを
大学の図書館の本をぜひ読んでください。興味の向くままに流し読みでも構いません。大学にしかないような高くて厚い本は、読める場所も時間も限られています。とにかく頭に情報を入れていくことで、いつか脳内で他の情報とつながることもあります。
また、最近はインターネットに情報があふれていますが、活字にしかない情報も存在します。東北の方は身に染みているかもしれませんが、津波などの水害で紙の本が突如失われることもあります。そうなる前に、情報を頭の中に移しておくことで、情報を未来へと残していくことができます。
みなさんは今、大人になる前の、まだ社会に守られている時間を生きています。今の内にたくさん勉強して、世界や人類について考え、学んでください。一般教養の授業もきちんと勉強すると、役に立ちますよ。
―作家になりたいと思ったきっかけは
作家になりたいと思ったのは、小学1年の頃です。幼い頃から、自分で物語を想像して、家族や友達に話すのが好きでした。将来そういうことを仕事にしたいと思っていたら、「それは作家という仕事だよ」と親に教わったのが最初ですね。それまでは誰かに話して伝えるのが中心で、実際に文字で物語を書いたのは、小学3年の国語の授業でした。中学生の時は、未完の小説を大学ノートに書いて、友達と見せ合っていました。当時は刑事ドラマ・探偵ドラマが人気で、私も見ていたので、刑事ものや探偵ものをよく書きました。この頃は、ドラマのシナリオライターになりたいと思っていましたね。
―作家になった経緯は
友達とワイワイしながら創作するのが楽しくて、大学では漫研に所属していました。漫画家志望の子たちは自分の作品をコンクールや雑誌に投稿していて、この時初めて、投稿しないとシナリオライターにも作家にもなれないんだと気がつきました。19歳の時、初めて投稿した童話がたまたま最終選考に残りました。それでね、もしかしたら、私、すぐに作家になれちゃうんじゃないかって思ったんです。その後も投稿を続け、二次選考や三次選考に残って、あと少しと感じていましたが、結局最優秀賞を取ったのは、投稿を始めて10年経った頃でした。
大学を出た後は、アルバイトを転々としながら、物語を書きました。当時はFMラジオの最盛期で、そこでもアルバイトしました。『花咲家』シリーズ(徳間書店)に登場する、FMラジオで働く茉莉亜はこの頃の経験を基にしています。
気がつくと苦節10年という感じで、当時は大変だとは思っていませんでした。いつも惜しいところまで行ったのと、前の投稿の結果を見る前に、次の投稿の締め切りが迫っていたので、とにかく連続で書き続けていましたね。『ちいさいえりちゃん』が毎日童話新人賞で最優秀賞をいただいて、デビューすることができました。
―影響を受けた作品は
子どもの頃読んだ『ナルニア国物語』です。あの時代はまだ日本にはファンタジーが育っていなくて、海外のものをみんな読んでいました。
また、ちょうど戦後児童文学が盛んな時期で、日本を新しい自由な国にしよう歌うような作品を読んでいました。その影響で、テーマ性を大切にして児童文学を書くようになりました。
テーマ性という点でいうと、石牟礼道子さんの『苦海浄土』にも影響されました。水俣病の話なのですが、レース編みのような繊細な文章で、本当に美しく描かれているんです。あんな風に語れたら、と思いました。
物語はゼロからは作れません。食べ物を消化してエネルギーにし、血肉とするように、これまで読んできたものを消化して、再生産しているんです。
―児童文学と大人向けの違いは
大人向けならば、セーブせずに書くので、どんなことでも書けちゃう。例えば社会や世界の黒い側面は、子どもに見せたらショックを受けてしまうので児童向けの時は表現を考えています。その点では気を使わないので楽ですね。
他にも、児童向けの作品はとても丁寧に書くよう心がけています。子どもはまだ読むことや考えることにあまり慣れていません。子どもたちが読んで理解ができないなら、書いても意味がない。だから、大事に、丁寧に、伝わるように書くようにしています。
子どもたちには、疑うことを学んでほしいと思って書いてきました。物語の中でも戦争やテロの問題に触れていますが、その根本にあるのは、「絶対的な正義」という価値観が、基本的人権を脅かしている状況です。そんな時、疑うことの強かさや柔軟さが必要だと思うのです。世間の道徳の中で「正しい」とされていることについて、もう一度立ち止まって考えてほしいです。
子どものために本を書くとき、自分なりに大切だと思うことを書き残してきたつもりです。私が先達の本から受け取ってきたように。最近は大人向けの本も書かせてもらっています。ですが、私としては児童作家の看板を下ろしたつもりはないんですよ。
―よく使っているインターネットについて、どう考えていますか
長崎と東京を行き来して仕事をしているので、インターネットには本当に助けられています。IT関係に勤めている友達が多かったので、インターネットが一般に普及し始めた1990年代には、もう使っていました。
直接会いに行けない人とも交流できるインターネットは本当に便利で素敵だと思います。私は、ホームページが灯台のような存在になればと考えて立ち上げました。ここにいるよ、と発信し続けていれば、たくさんの人が集まってきます。一人じゃないよ、と語りかけることができるのです。
―大学生にメッセージを
大学の図書館の本をぜひ読んでください。興味の向くままに流し読みでも構いません。大学にしかないような高くて厚い本は、読める場所も時間も限られています。とにかく頭に情報を入れていくことで、いつか脳内で他の情報とつながることもあります。
また、最近はインターネットに情報があふれていますが、活字にしかない情報も存在します。東北の方は身に染みているかもしれませんが、津波などの水害で紙の本が突如失われることもあります。そうなる前に、情報を頭の中に移しておくことで、情報を未来へと残していくことができます。
みなさんは今、大人になる前の、まだ社会に守られている時間を生きています。今の内にたくさん勉強して、世界や人類について考え、学んでください。一般教養の授業もきちんと勉強すると、役に立ちますよ。