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【書評】『悪人(上・下)』吉田修一・朝日文庫

 悪人とは、どのような人物を指す言葉か。この問いに、犯罪者、特に殺人事件の犯人を挙げる人は少なくないだろう。殺人事件のニュースを目にすると、犯人を凶行に走らせたものは一体何か、という言い回しが頻繁に用いられている。しかし、犯人が人殺しに至った経緯や理由の真相は、報道を通じて簡単に理解できるものではない。



 今回紹介する吉田修一著『悪人』は、一人の男が殺人を犯すまでの複雑な人間模様や、その後の逃避行を生々しく描写し、事件を取り巻く人間の歪んだ感情を読者にありありと見せつける。なお、ここから物語の内容に多く触れるため、承知の上で読み進めてほしい。


 殺人を犯したのは、長崎で土木作業員として働く祐一。携帯サイトで知り合った女性、佳乃の首を絞めて殺害してしまう。事件当日、佳乃は祐一と出かける約束を破り、一方的に思いを寄せていた裕福な大学生、増尾とドライブに出かけるも、道中で増尾の不満を買い、道端で降ろされてしまう。後から迎えに来た祐一に、佳乃は苛立ちから根も葉もない言いがかりをつけ、「警察に言ってやるけんね」と吠える。怯えた祐一は、佳乃を手にかけてしまう。


 見栄っ張りで、祐一をどこか見下していた佳乃や、殺された佳乃を仲間内で笑い物にする増尾など、人間性に浅からぬ問題を抱えた登場人物とは対照的に、祐一は無口ながらも祖父母思いで、素朴な青年として描かれている。また祐一は、佳乃に言いがかりをつけられた際、幼い頃母親に捨てられた記憶がフラッシュバックし、誰も自分のことを信じてくれないのではないか、という恐怖に襲われた。複雑な生い立ち、そして周囲の人間の身勝手な振る舞いに翻弄された結果、自らと無縁だったはずの殺人に導かれてしまったのかもしれない。


 その後、祐一は新たに携帯サイトで知り合った光代と関係を深め、彼女に殺人を告白し、葛藤の末に2人で逃亡する。ついに警察に捕まる瞬間、祐一は光代の首にまで手をかけたのであった。祐一を本気で愛した光代には、彼が本当に悪人だったのか分からなかった。「世間で言われとる通りなんですよね? あの人は悪人やったんですよね?」という彼女の悲痛な問いかけで物語は幕を閉じる。


 加害者は絶対的な悪なのか。罪に問われない人間は悪ではないのか。司法の判断が全てを分かつのか。殺人事件は、残虐な人間が何の罪も無い誰かの命を奪うもの、必ずしもそうとは限らないのかもしれない。


 本当の意味での悪人とは一体何者なのか。この物語は、そのような容易ならざる問いを読者に突きつける。

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