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【インタビュー】「願かけ」現実を乗り越える知恵

不合理な営みの意味 探る 


 寒さ厳しいこの季節、神社には多くの受験生が訪れ、合格祈願の絵馬を奉納する。効果があると科学的に言えないことが分かっていても、人はなぜ「願かけ」をするのだろうか。本学文学部宗教学研究室の木村敏明教授に聞いた。

(聞き手は野澤凜太郎)


きむら・としあき
本学文学部哲学科宗教学宗教史専攻を卒業後、
本学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)


なぜ人は宗教に頼るのか


 科学技術がこれほど進歩した現代社会において、なぜ人は神様に祈りたくなるのでしょうか。これは宗教学にとって大きなテーマです。今から50年ほど前、本学には石津照璽という宗教哲学者がいました。本学の学長も務めた人ですが、彼は人間が宗教に頼る理由を「不確かさ」「不決まりさ」という言葉で説明しました。



 人は一生懸命努力したとしても科学的な知識を用いても、物事を完全にコントロールすることはできません。こうした「不確かさ」に左右される場面を乗り越えるために、人はたとえ目に見えなくても、神仏に頼りたくなるということです。



 このように宗教学では、一見すると不合理に思える人間の行為に着目します。目には見えないし、そこにいる確証はないけれども、神様やご先祖様が見てくれているのではないかと思ってしまう。人間の力の及ばない部分で助けてくれるかもしれない神様に心引かれ、手を合わせたくなる。我々宗教学者は、人間のこうした側面を見たくなるんです。



絵馬は公への決意表明


 「不合理性」という観点では、絵馬も興味深いです。なぜ願い事を木の板に書いて神社に奉納するのか。その意味は、単に願望を実現したいという思いだけではありません。


明治神宮にある絵馬=木村教授提供


 江戸時代に、日本独自の数学である和算が発達しました。実は、和算の出題や解答は絵馬の一種「算額」でなされていたんです。まず、和算の新しい問題を考えた人が、大きな額にその問題を書いて神社に掲げます。すると、地元の和算学者たちがその問題を解き、額に解答を書いて再び神社に奉納します。これを算額と言います。



 算額は、自分がこんなに難しい問題を解いたという事実を、公すなわち地域の人々や神様に対して表明するための手段でもあったんです。現代においても、自分の願いを書いて神社に奉納するのは、公に自分の決意を表明するという側面があるのではないでしょうか。



東北大で宗教学を学ぶ


 本学の宗教学研究の特徴は長年、民間信仰を得意として扱ってきたことです。東北に残る民間信仰を対象に培ってきた独自の視点は、大きな財産だと思います。



 また、私たちは東日本大震災を経験した大学として、災害と宗教との関わりについても考えてきました。宗教の力は、災害を受け止めて新たに歩んでいく上で有効に働き得ると思います。



 私は、日本とインドネシアをフィールドとして宗教的なものが人々を元気づけたり社会を活性化させたりする上で、どのような役割を果たしているかについても研究しています。こうした研究は被災地にある大学としてやらなければいけないことだと思っています。

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