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【特集・戦争と大學 第2回】総長と研究者 戦時の二面性

  熊谷岱蔵(1880~1962年)は、1940年5月から46年2月まで東北帝大の第7代総長を務めた医学者である。東京帝大医科大学を卒業後、内科医としての勤務を経てドイツに留学した。帰国後は15年から東北帝大で医科大学教授となり、医科大学附属医院長などを務めた。



 熊谷が総長に就任して4カ月が経つ40年9月、総長を会長とし、東北帝大の運営に関して財政、教育、研究など幅広い案件を扱う「振興委員会」が設置された。振興委員会は学内の教職員を対象としたアンケートを熊谷在職中に少なくとも2度実施しており、44年に聴取したアンケート=記事右=は、総長が直接意見を求めるという方式で同委員会により執り行われた。本件からは熊谷が総長として、学内の意見に耳を傾け集約しようとする姿勢がうかがえる。聴取した内容は実際の運営に反映されなかったが、その原因は特定しがたい。「帝国大学令」で帝国大学総長は天皇に任命される勅任官と定められており、現在の大学の環境とは乖離がある。熊谷は、総長と一人の研究者との立場や役割を両立する必要があった。



 戦況が悪化するにつれ、熊谷の総長としての言葉は国の方針に従う形で、戦争目的の側面を強めていく。43年12月28日に、現在のNHK仙台放送局で行ったラジオ放送では、戦時下で大学に求められる役割について語った。日米の科学動員体制を比較し国内の問題点を指摘しながらも、国内や東北帝大における研究成果の良質ぶりを強調し、「我が皇国の大業を完遂致します爲には、あらゆる科学を、戦争目的完遂のために振ひ起さなければならない」とした。この冬に始まった学徒動員にも言及し、学生へ激励の言葉を送っている。学問も学問に従事する人々も、戦争と独立にはいられなかったのだった。



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