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【特集・戦争と大學 第2回】研究室多数増設も理工系を偏重 戦争利用を目指す

  日中戦争勃発に端を発する科学動員体制で際立った変化の一つに、大学に多くの附置研究所が増設されたことがある。1938年、当時の文部省に設置された科学振興調査会は、国の総力戦体制の中で大学に求められる科学動員について方策を検討した。その答申の一つが、日本の科学振興のためには多数の研究所が必要だとする提言だった。帝国大学は国策としての研究所拡充に飛びつくような形で、40~45年の間に計26もの研究所を増やした。



 東北帝大は中でも最多の8所を増設し、「研究所大学」の異名を取るに至った。新たに設立されたのは、選鉱精錬研究所、抗酸菌病研究所、科学計測研究所、航空医学研究所、高速力学研究所、電気通信研究所、非水溶液研究所、硝子研究所で、いずれも理系に分類される研究所である。東北帝大は文系の研究所を含め通算24件の研究所設置構想を要求していた。しかし採択されたのは、製造力の拡充や兵器開発、人的資源の活用といった、理工系の応用研究や実学研究を目的に掲げた要請に限られた。人文系の研究所として日本文化研究所などの設置を要求していたが、かなわなかった。東京帝大に東洋文化研究所、京都帝大に人文科学研究所の設置が認められたが、帝国大学全体で見ても数は少ない。日本文化研究所が採択されなかった理由について加藤准教授は、大学自体の規模や、東北帝大の持つ文系学部が法文学部のみだったこと、さらに戦時下において、実用的な理系分野へ研究資源が傾斜していった可能性を指摘する。



 附置研究所の設置構想は、初期段階においては全学的、さらには大学の垣根すら超えるような共同研究の体制を目指していた。しかし大学それぞれが小規模な研究所を建て、時には構想が重複するような状況に終始した。加藤准教授によると、大学の自治が曲がりなりにも守られていたことが影響しているのではとのことだ。附置研究所を増設する形での科学動員には、結果として早くに限界が訪れたということになる。



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