【この道わが旅】社会と科学、結ぶのが価値観 東北アジア研究センター 千葉聡教授
本学の教員にインタビューし、これまでの研究や学生時代、社会観にまで迫る本企画。1回目となる今回取材に応じてくれたのは、本学大学院生命科学研究科・東北アジア研究センターの千葉聡教授だ。千葉教授は進化生物学や生態学を専門とし、巻貝類、特にカタツムリの研究を長年続けてきた。その傍ら、近年は出版活動にも精力的に取り組んでおり、著作を通して進化の魅力を社会に伝えている。飽くなき好奇心を持つ千葉教授の目に、大学や社会はどう映っているのだろうか。
(聞き手は平山遼)
―巻貝類との出会いは
大学院の修士課程に在籍していた時です。研究室の教官から与えられた研究テーマでした。
―これまでの研究で印象に残っている場面は
修士時代、小笠原でカタツムリの研究をしていたところ、当時未発見だった化石を見つけました。その時のことは今でも覚えています。若い時の体験は何事も新鮮でしたね。
―小笠原に関心を持ち始めたのも修士時代か
そうです。ただ、修士になる前に一度だけ旅行で訪れました。当時は「地の果て」というイメージだったので、まさか小笠原で研究することになるとは思ってもいませんでした。小笠原が生物学的に重要な場所だと分かったのも、研究を始めてからでした。
―フィールドワーク中は母島の民宿でアルバイトをしていた
当時は、フィールドワークに必要なお金を自分で稼がなければいけない時代でした。今は教員が費用を負担してくれるので、フィールドワーク中にアルバイトをするとかえって問題になってしまいますね。
―昨今の大学の変化(厳格化)についてどう思うか
善し悪しですね。今は教官も生徒も真剣ですから、一つの専門をしっかり学べるという意味では学生にとって非常に良いシステムになったと思います。昔は緩い、言い方を変えると雑な教官が多かったです。まだGPAもなく、全員「優」という授業もありましたし、ある学生の質問に答えるため10分以上数式の解法を試みた挙げ句、「考える」と言い残して授業を中止してしまった先生もいました。
2000年代の教育改革で厳格な管理体制が導入され、授業料が高くなって先生の授業への責任感が強くなったように感じます。今の学生には授業料が高くなった分、真面目に授業を受けてほしいです。
〈ここで大学での学びについて意見を求められた聞き手(文・1)が「文学部での学びは社会で役に立たないのではないか」と口を滑らせたことで、話は思わぬ方向へ発展していく〉
そうかなあ。文学部での学びはすごく役立つと思いますよ。文学部での学びは価値観の違う人との関わりで生きてくるスキルです。価値観の違う相手を知ることは、スポーツでも国際関係でも大切です。文学部にはその学びがあります。
―理系から見た文系の学問の必要性とは
文系の学問が機能しなければ理系の学問は機能しません。純粋に科学的な事実を分析し自然の因果を知るだけであれば、理系だけで完結します。しかし「学問を社会に役立てる」とは、科学的な事実に基づいて判断することです。例えば、新型コロナのワクチンには「新型コロナの症状を軽減する」「副反応がある」という科学的な事実があります。この二つをはかりにかけ、ワクチンの接種を進めるかどうか判断することは価値観の問題です。つまり、文系の学問領域です。いろいろな人の考えを糾合して合意形成に導くには、異なる価値観を知っていることが必要です。文系の学問は価値観を取り扱う学問と言えるかもしれませんね。
―文系を軽視する風潮が広がりつつあるが
価値観の大切さを理解せず、技術に目がくらんでいるのだと思います。文系を軽視する人はロボットや生成AI(人工知能)の素晴らしさに目を奪われ、それだけで社会が豊かになると信じています。しかし実際にはその素晴らしさを売り出す人、リスクを見抜く人が必要です。リスクを見抜くには価値観で判断することが必要ですから、これは超技術的な問題です。よく文系の学生は「自分たちは役に立たないことを学んでいる」と言いますが、それは卑下のし過ぎです。本質的に社会に役立つことを学んでいる、という自信を持ってほしいです。
〈理系の教授に文系の学問の大切さを説かれ、すっかり自信を取り戻した聞き手。気を取り直して千葉教授の文筆家としての面も尋ねた〉
―一般の人向けの本を書こうとしたきっかけは
以前は、普及書(一般の人向けの本)を堕落だと考えていました。しかし現在は、一般の人の理解を得なければ研究費を獲得できなくなっています。そこで、普及書を通じて一般の人に科学の面白さ、どのように役立つかを伝えたいと考えるようになりました。
―日本の科学の衰退が叫ばれている
2000年代以降、一般の人と科学との間にギャップがあるように見えてきました。特に「事業仕分け」議論の頃、そのギャップが広がっていると感じました。昔は昆虫採集や自分で回路を作って電球をつけるなど、幼い子どもでも科学に触れる機会がありました。昔の昆虫採集は今のプログラミングに当たるのでしょうが、今は娯楽性の強いスマホやゲームがありますからね。新たな形の科学との関わりが生まれていないと感じます。
―暮らしが便利になる中で、人間は退化していくのか
人間の基礎能力自体は変わらないと思います。ただ、今の価値観から見ると劣っているように見えるかもしれません。例えば、昔の日本人は鉛筆を小刀で削っていましたが、今はそんな能力がなくても困りません。今我々にとって必要なことがAIによって行われるようになれば、人間はその能力を手放すでしょう。価値観は時代によって変わるものなので、時代が変われば正解も変わります。生物の進化と同じです。ある環境で優れていても、違う環境で最適だとは限りません。
―学部時代、どうしても興味を見いだせない研究をうまく進められずに悩んでいたと聞いた
学部から修士に進む時に、研究室を変えました。特に学生の場合は、適応できないことを自分のせいだと考えがちですが、無理に合わせようとすると心を病んでしまいます。困った時は環境を変えるのが一番です。
〈最後に、取材を通して感じた千葉教授の知識の深さについて尋ねた。「自分は全然知らない」と謙遜しながらも、その好奇心の源について語ってくれた〉
知らないということは気持ちが悪いですね。世の中にはいろいろな事柄があり、それぞれとても詳しい人がいます。詳しい人たちと話していると、自分は何も知らないのだと思い知らされます。その度に調べたり、詳しい人に聞いたりしてきました。私が知っているのだとすれば、その積み重ねだと思います。
ただ、若い頃から好奇心にあふれていたわけではありません。学部3、4年生の頃は勉強に冷めてしまって、一度留年も経験しました。人生には全くやる気が出ない時期もあります。大やけどしなければいいかな。私の学生時代の友人にも、何にもやる気が起きず留年を繰り返して、結局放校になった学生がいました。ただ彼は、その後、唐突に勉強を始めて医学部に再入学し、今は精神科医をしています。人生はやけどしても考え方次第でどうにかなるものなので、元気のない人には「大丈夫、何とかなるよ」と言ってあげてほしいです。
ちば・さとし
本学大学院生命科学研究科・東北アジア研究センターに所属。専門分野は進化生物学・生態学。千葉県出身。91年、東京大学大学院理学系研究科博士課程を修了。写真は北硫黄島でのフィールドワーク時のもの。(=本人提供)
