【特別インタビュー】前秋田県知事 佐竹敬久さん
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前秋田県知事・佐竹敬久さん(78)は、本学工学部精密工学科(現、機械知能・航空工学科)の卒業生だ。工学部を卒業後、秋田県庁に入庁し、2001年から09年まで秋田市長、09年から25年まで秋田県知事を務めた。今回、本紙は、長年自治体の長を務めてきた佐竹さんにインタビューを行った。大学時代の思い出、リーダーの心得、本学の学生に求めることなど、3時間にわたり大いに語ってもらった。 (聞き手は平山遼)
―学生時代の思い出は
50年以上前のことだが、当時は青葉山キャンパスができたばかりだった。川内には教養部〈注:64年から93年まで存在。現在の全学教育に相当し1、2年生が所属した〉が置かれ、目の前の校舎の大半は太平洋戦争終戦後に仙台に駐留した米軍施設だった。建物は木造で、床はコンクリートだから寒かった。当時は今以上に理工系の女学生が少なく、工学部全体で10人ほどだったと思う。
不便なことも多かった。まだ地下鉄なんてない頃だから、青葉山には歩いて登った。特に冬は、滑って大変だった。当時は植物園の裏に道があり、そこから登っていた。
アパートは同期と八幡に借りた。今と違い、スーパーマーケットがなかったから、食材は全て八百屋や魚屋で買っていた。でもそれが良い。午後6時を過ぎると、売れ残りや商品にならないものを安く売ってもらえた。
3、4年生の時は学生運動が盛んだった。安田講堂に東大生が立てこもっていた頃、東北大でも工学部棟に立てこもる学生がいた。約3カ月、機動隊と学生のにらみ合いが続いて、その間キャンパスは封鎖、授業もなかった。当時の精密工学科には強硬な先生がいて、実験室の高価な器具を壊されぬよう、実験室のドアを溶接して固定してしまった。最後は機動隊が突入し、立てこもる革マル派〈注:新左翼党派の一つ。日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派〉と衝突した。
ただ、私は商売がうまかったから、裏口から工学部棟に入って、立てこもる連中にパンやカップラーメンを売っていた。結構もうけたよ。
大学祭も楽しかった。当時は仮装行列があった。千人単位で仮装して、一番町を練り歩く。私は精密工学科の仮装のプランナーだった。学科全員でアマゾネスの仮装をした。全員ブラとかつらをつけて、その辺の草を刈って巻き付ける。おしろいも塗ろうと思ったが、おしろいなんて持ってないから、顔にパン粉や小麦粉を塗りたくった。お化けみたいだったが、市民は喜んでいたと記憶している。
勉強もしたが、それ以上によく遊んだ。当時は皆貧乏だったから、農村地帯生まれの方が生活に余裕があった。米や酒を秋田の実家から送ってもらった。家賃は月1万円、授業料も年1万2千円。それでもお金はなかったから、食費を浮かせようと喫茶店や家庭教師のアルバイトをした。どちらもご飯が食べられる。
先生は厳しかった。軍隊を経験した先生も多く、授業中に寝ようものなら「ばか、何してるんだ!」と平手打ちされることもざらにあった。竹刀を持ってくる先生もいた。
徹夜での実験も思い出深い。今はパソコンや自動記録装置があるが、当時は実験結果を紙に書いて記録していた。夜通し実験だから途中で眠くなるが、実験室は寒い。だから新聞紙を何枚も身にくるみ、酒を飲んで体温を上げた。実験室にはたくさん酒瓶があって、先生まで一緒になってよく飲んでいた。今の学生はしないかもしれないが、マージャンもよくした。実験しながらマージャンして、1時間ごとに実験の結果を見に行った。
酒といえば、片平にあった北門食堂(現、さくらキッチン)だ。安くコンパができ、先輩がどんどん酒を飲ませてきた。でも私は秋田出身だから酒に強く、先輩の方が先に酔ってしまった。
部活動でスキー部に所属していた。春の間は蔵王にこもって、アルバイトと部活にいそしんでいた。蔵王でも食堂でアルバイトしていたから、残飯をたくさんもらえた。学生生活の中でも一番楽しい時間だった。
―工学部から秋田県庁に入庁した
工学部で専門的に学んだ内容は、仕事にあまり使わなかった。ただ周囲が文系ばかりだったから、理系の基本知識、数学の計算や統計は仕事に生きた。当時の半導体は最先端技術。初期のパソコンは自分でプログラムを組み込まなければならず、持っている人は珍しかった。自分のパソコンを持っているのは私くらいしかいなかったから、私ばかりすぐに仕事が終わる。すると上司に呼ばれて、「佐竹君、仕事が早すぎると駄目だ。残業代が出ないぞ」と言われた覚えがある。
社会に出た時は、学生時代の交友関係が役に立つ。私は知事時代、企業の誘致に力を入れたが、その際、学生時代の人脈が役に立った。同期がいろいろな企業にいるから、うまくやるんだ。阿吽の呼吸だよ。
日本人はひいき感情があるから、同じ条件なら同期を選ぶ。同じ大学を出たという共通項があると話しやすい。学校ではとにかく友人をつくった方が良い。
―友人とはどのように仲良くなるのか
それはもう酒だ。今は分からないが、当時は酒飲みが主流だった。飲み屋で別々に飲んでいても、最後はひとまとまりになって、全く知らない人とも話が弾む。昔は学食でもアルコールが売られていたし、入学直後のコンパで先生が酒を進めてきたこともあった。もう時効だが、もちろん未成年飲酒だ。川内の桜の木の下で、学生も教員も一緒になって飲んでいた。学内の至る所に酒瓶が落ちていた。
夜、実験が終わった後でも、向かいの研究棟から明かりが見えれば、一緒に酒を飲みに行った。酒のおかげで、出身も学科も違う人とだって仲良くなれた。今と違って研究棟のセキュリティは緩く、24時間、全く関係ない人間すら入れた。ダンスパーティーもした。東北大の前でチケットを売るが、尚絅学院大や東北学院大の学生にも配った。かなりもうかった。厳しい先生、他学部他学科との交流、他校との交流、この三つは今はないだろう。当時は社会的制約が緩やかだった。
今は「あれが駄目」「これも駄目」と息苦しそうに感じる。勉強だけしていては羽目を外すこともできないだろう。私の頃は大学に行くのが楽しかったし、自殺や犯罪も聞かなかった。せっかく大学に通えるんだ。楽しんでほしい。
卒業後も、母校である東北大のことは気にかけてきた。東日本大震災の時、私は全国知事会の文教委員長を務めていたが、東北大の建物にも地震で大きな被害が出た。私は知事会を代表する形で、東北大への支援を文部科学省に頼みに行ったが、実は当時の文科省事務次官が東北大法学部出身、しかも同郷の秋田出身だった。一緒に酒を飲んで、支援額を増やしてくれるよう頼んだ。国からは約800億の支援があったが、そのうち数十億は私が出させたようなものだ。
今、東北大出身の政治家は少ない。知事では、青森県の宮下宗一郎知事しかいない。結局、大学の予算も政治力が関係してくる。東北大の後輩には、ぜひ政治家を目指す人も出てほしい。
―初めて知事選に出馬した時の心境は
県政でデータが無視されていたから、これでは駄目だと思った。海外では理工系出身のトップが多い。中国共産党の指導部も、精華大の工学部ばかりだ。日本がIT(情報通信技術)化に取り残されたのは、国のトップがITに疎いことが原因だと思う。私は精密出身だから、航空機や自動車などが専門で、知事時代に、国からの輸送機の技術研究費補助の研究内容のヒアリングで自らプレゼンしたことがある。やはり、専門用語が分かるかどうかは大きな違いだ。どんな学部の出身でも、必ず共通して使うベースの知識がある。法律はその典型だ。自分に関係ない分野であっても、一般的な用語くらいは覚えておくと、社会に出てから活躍できると思う。
それから、今はAI(人工知能)をうまく使えるかどうかだ。新しいことを受け入れるのが必ず正しいわけではないが、一度は経験した方が良い。世界の潮流を見るべきだ。日本の低迷の元凶は、日本の技術はすごい、と現状にあぐらをかいていたことだと思う。日本人も中国人もアメリカ人も、頭の出来は変わらない。日本人ばかりが優秀だと思ってはいけない。
―行政のトップとして、重い決断が求められることもあったと思う。上手に決断するコツは
何より先に、物理的に可能か、理論的に可能か。この二つを考える。どんなに熱意があっても、物理的に、または理論的に不可能なことはできない。今の時代「やる気だ」「気合いだ」だけでは人は付いてこない。ただ、もちろん努力は必要だ。
では、努力とは何か。それは情報を持つことだ。勉強して、情報を得て、それをうまく活用する。社会に出た後も、大学で学んだことをベースに、どうすれば社会の役に立てるかを考え続けるべきだ。就職してからも上昇志向を持ち続けなければ、これからの時代はAIに取って代わられる。これだけは負けない、という武器を一つ持ってほしい。そしてAIにできないこと、つまり感性を大事にしてほしい。
―今の学生に求めることは
英語だけは覚えた方が良い。我々の世代は書いたり読んだりできるが、聞いたり話したりできない。だから私も英会話ができず、今でもコンプレックスを抱えている。一番良いのは英語圏の国に少なくとも3カ月以上行くことだろう。
―知事在職中は批判も受けたが、どのように批判と向き合っていたのか
しまったと思ったら、すぐに謝る。一度謝罪すれば後は終わり。単純なことだ。
こんなことを言ったら駄目だが、「じゃこ天はまずい」発言も、本当にじゃこ天をまずいと言ったわけではない。公式な会食会で最後にふた付きの鉄板焼きが出てきたので、メインのステーキだと思ったらじゃこ天だった。だからじゃこ天よりステーキの方がうまいと言ったんだ。それが切り取られた。でも、すぐに謝った。そうしたら最高の結果になった。じゃこ天の知名度が上がったということで、じゃこ天組合から、愛媛県に招待し感謝状を差し上げるというような話もあった。これには笑った。愛媛県の人から「よく言ってくれた」とまで言われた。
ただ、私は市政県政に関わる失言はなかったと自負している。じゃこ天やクマなど批判されたこともあったが、政治的な失言は駄目だ。政治と無関係の失言は謝れば収束するが、今の政治家は政治的な失言が多い。高市氏なども不安だ。
―読書が趣味と聞いた。おすすめの本は
時代劇だね。特に戦国大名。生きるか死ぬかの世界でどう生き残るか。戦略的で真剣みがある。私などは、哲学書を読んでも眠くなってしまう。個人的にも、私の先祖が秋田藩主だった。過去実際にあった話から、ギリギリの判断、緊張感、考え方を学んでほしい。池波正太郎や山本周五郎の侍の苦労を描いた作品は特に素晴らしいと思う。
―本学学生に伝えたい秋田の魅力は
食と祭りだ。うまいものを安く食える。春夏秋冬全てを楽しむことができる。夏は暖かく、冬はかまくらを作れるほど雪が積もる。竿灯まつりなど、祭りも見応えがある。
「東北」の名が付く大学に進学した以上、ぜひ在学中に東北地方を一周してほしい。
さたけ・のりひさ
秋田県仙北市(旧角館町)出身。78歳。角館高、本学工学部精密工学科を経て1972年、秋田県庁に入庁。地方課長、総務部次長などを歴任した。2001年、秋田市長に立候補し、初当選。2期目の途中、09年に市長を退任して知事選に出馬し、初当選。以後秋田県知事を4期16年務め、企業誘致や人口減少対策に力を入れた。佐竹北家21代目当主でもあり、県民からは「殿」と親しまれる。

