【書評】『砂漠』 伊坂幸太郎 新潮文庫
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小説「砂漠」は、伊坂幸太郎氏が執筆した青春小説である。仙台の国立大学に入学した主人公の北村は、4人の友人と様々な出来事を経験し、絆を深め、人間として成長していく。
この小説の中で特に印象に残るのは、主人公である北村の友人、西嶋の存在だ。クラスの懇親会に遅れてきた彼は、会場に現れるなり、自己紹介もそこそこに、現代の社会に対する意識の低い大学生を馬鹿にする演説を始める。その演説に周りの大学生は白けるが、北村はその様子に釘付けであった。そして、この場面で本書屈指の名言が生まれる。「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」。
本書を通してのテーマは「大学生活は人生のオアシスであり、いずれは外に広がる『社会』という砂漠に出なければならない」ということだ。前述の台詞のように、社会を表す言葉として「砂漠」という単語が頻繁に現れる。北村は大学生活の中で、オアシスの外に広がる砂漠を垣間見て、そこでの苦労を想像して心を曇らせる。その一方で、西嶋は「砂漠に雪を降らすことだってできる」と熱く語る。何度も演説を聞いてうんざりした北村たちは適当に相槌を打つだけだが、心のどこかではその言葉に期待をしているのだろう。それは筆者にとっても同じだ。どこか冷めた目で見ながらも、心の奥に「そうであってほしい」という思いが生まれる。彼なら、辛く厳しい砂漠にも雪を降らせ、砂漠全体を潤ったオアシスにしてくれるのではないか、と。
西嶋は強く印象に残る人物であるが、彼以外にももう一人紹介したい人物がいる。それは、北村たちのクラスメイトで脇役の莞爾(かんじ)だ。彼は西嶋が馬鹿にする大学生そのもので、西嶋がクラスの懇親会で演説をしたときも彼のことを笑っていた。しかし、エピローグでは北村たちに「本当はおまえたちみたいなのと、仲間でいたかったんだよな」と告げ、去っていく。彼は、本書を読むであろう多くの大学生を体現した存在だ、と筆者は考える。大人に近づくことで現実を知り、世間に対して諦めを持ち、せめて目の前の大学生活を楽しもうとしている。その一方で子どものように夢を捨てきれず、西嶋のような社会を動かそうと努力する存在に憧れを抱いている。理想と現実が同居する様子は、モラトリアムの中で苦悩する大学生そのものだ。
ここまで長々と書いたが、最後に一つだけ伝えたいことがある。諸君がこの小説を読了したならば、「やろうと思えば、どんなことだってできる」という期待と高揚感のようなものが胸に残るだろう。その気持ちを、忘れないでほしい。そうすれば、君たちの手で砂漠に雪を降らすことでさえ、きっとできるのだから。