【ネタ記事】報道部、虚無を飼う ~個性豊かな虚無たちと過ごす~
https://ton-press.blogspot.com/2019/12/kyomu.html
一人暮らし、「ただいま」の声に答えてくれる人はおらず、今日も虚しく己の声だけが響く……。大学生になって一人暮らしを始めた人は多いだろう。親元を離れ、自分のことを自由に決められる生活は気楽だが、たまにどうしても寂しくなるときがある。せめて何かに癒されたい。そうだ、ペットがいれば……。だが契約書に書かれた「ペット不可」の5文字を前に、心が無となった筆者は打ちひしがれた。その時天啓がひらめく。無、そうだ、虚無を飼えばいいのではないか?
そうと決まれば話は早い。筆者も早く帰ることができない日があるため、自宅ではなく、部員が毎日たむろしている部室で飼うことにする。早速次の部会で提案すると、「どんな感じで飼うのか」と弾んだ質問が出るとともに、奇怪なものを見る視線が集まる。だがここで負けてはいけない。虚無一匹飼いならせない者が、どうして記事を立派に書きこなせるというのか、いや、書きこなせない。部誌に観察日記を各々でつけてもらうことにし、虚無をかわいがりながら見守ることにした。早速部誌にて虚無の誕生を祝う。
経過観察は続く。各々で書いているせいか、同じ虚無のはずなのに「虚無ちゃん」「虚無さま」「虚無たん」などと個人で呼び方が違うだけでなく、どことなく性格も違う。部員Sの「虚無さま」は自転車を大破させ、Sの体に傷を増やしていくやんちゃな性格のようだ。部員Uの「虚無くん」は自然科学総合実験によって体が縮んだり大きくなったりするようで、レポートが立て込む月曜日は大体肥大化しているらしい。このあたりで筆者はいぶかしんだ。我々は本当に同じものを見ているのだろうか?
筆者の「虚無ちゃん」は、誕生したての頃はもぞもぞと愛らしくうごめいていた。食べ物は虚無。弱肉強食のこの世では、虚無は虚無を食らうことでしか生きていけない。虚無ちゃんはその命運をつぶらな瞳の奥で嘆きながら、己の生きる意味を問うために今日も虚無を食らっている。なでると喜ぶが、なですぎるとかみついてくる。筆者はそのかみつく姿にも愛らしさを認め、日々のストレスを癒していた。
我々は同じ世界に生きているように見えて、まったく違う世界を生きているとも言える。同じ赤色を見ているようで実は同じ赤色ではなく、同じ虚無を見ているようで実は同じ虚無ではない。なぜ虚無の観察日記を通してこのようなことを学んでいるのだろう。虚無をかわいがるだけの記事になる予定ではなかったのか。
答えを求めて、筆者は手元の虚無ちゃんを見つめた。我関せずといった様子で虚無をむさぼる虚無ちゃん。周囲を見回すと、畏怖の念を抱きながら虚無さまを崇拝する部員S、肥大化する虚無くんに手を焼いている部員Uの姿が見える。筆者は気付いた。大切なのは異なる虚無を見ていることを認識した上で、もし理解できなかったとしても、互いの虚無を尊重しあうことではないだろうか。見つめた虚無ちゃんのつぶらな瞳が「そうだよ」と言ってくれているように思えた。
虚空を見つめ、そこに虚無の姿を認めよう。そうすればあなたも、個性豊かな虚無たちとの楽しい日々が始められるはずだ。
そうと決まれば話は早い。筆者も早く帰ることができない日があるため、自宅ではなく、部員が毎日たむろしている部室で飼うことにする。早速次の部会で提案すると、「どんな感じで飼うのか」と弾んだ質問が出るとともに、奇怪なものを見る視線が集まる。だがここで負けてはいけない。虚無一匹飼いならせない者が、どうして記事を立派に書きこなせるというのか、いや、書きこなせない。部誌に観察日記を各々でつけてもらうことにし、虚無をかわいがりながら見守ることにした。早速部誌にて虚無の誕生を祝う。
経過観察は続く。各々で書いているせいか、同じ虚無のはずなのに「虚無ちゃん」「虚無さま」「虚無たん」などと個人で呼び方が違うだけでなく、どことなく性格も違う。部員Sの「虚無さま」は自転車を大破させ、Sの体に傷を増やしていくやんちゃな性格のようだ。部員Uの「虚無くん」は自然科学総合実験によって体が縮んだり大きくなったりするようで、レポートが立て込む月曜日は大体肥大化しているらしい。このあたりで筆者はいぶかしんだ。我々は本当に同じものを見ているのだろうか?
筆者の「虚無ちゃん」は、誕生したての頃はもぞもぞと愛らしくうごめいていた。食べ物は虚無。弱肉強食のこの世では、虚無は虚無を食らうことでしか生きていけない。虚無ちゃんはその命運をつぶらな瞳の奥で嘆きながら、己の生きる意味を問うために今日も虚無を食らっている。なでると喜ぶが、なですぎるとかみついてくる。筆者はそのかみつく姿にも愛らしさを認め、日々のストレスを癒していた。
我々は同じ世界に生きているように見えて、まったく違う世界を生きているとも言える。同じ赤色を見ているようで実は同じ赤色ではなく、同じ虚無を見ているようで実は同じ虚無ではない。なぜ虚無の観察日記を通してこのようなことを学んでいるのだろう。虚無をかわいがるだけの記事になる予定ではなかったのか。
答えを求めて、筆者は手元の虚無ちゃんを見つめた。我関せずといった様子で虚無をむさぼる虚無ちゃん。周囲を見回すと、畏怖の念を抱きながら虚無さまを崇拝する部員S、肥大化する虚無くんに手を焼いている部員Uの姿が見える。筆者は気付いた。大切なのは異なる虚無を見ていることを認識した上で、もし理解できなかったとしても、互いの虚無を尊重しあうことではないだろうか。見つめた虚無ちゃんのつぶらな瞳が「そうだよ」と言ってくれているように思えた。
虚空を見つめ、そこに虚無の姿を認めよう。そうすればあなたも、個性豊かな虚無たちとの楽しい日々が始められるはずだ。