【男子ラクロス部】全日本大学選手権準優勝 ~有力校相手に健闘重ねる~
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本学学友会男子ラクロス部が昨年の全日本大学ラクロス選手権大会で準優勝を果たした。本学が同大会で決勝に進むのは初の快挙。また、男子決勝に関東、関西勢以外が進んだのも大会史上初のことだ。決勝進出を決めたときの心境について、当時の主将の浅野勇磨さん(経・4)は「やってやったぜという気持ちだった」と振り返った。
準決勝はヤンマーフィールド長居(大阪市)を舞台に、強豪・関西学院大と戦った。プレーヤー一人ひとりが目の前のことに集中し、自分の役割に徹することで、本学が終始優位を保つ試合展開となった。「点を入れられた時に相手よりも声を出す」ことでアウェーの空気を乗り切り、初めて決勝への切符を手にした。「勝つと思っていたのは本学の関係者だけだったのではないか」と浅野さん。「(関西学院大が勝つという)『当たり前』を覆せた。だから、やってやったという気持ちだった」。
男子ラクロス部は同大会で決勝に進むことを目標に掲げていた。そのため、準決勝までに負けることができないというプレッシャーの中で大会を戦った。北海道大との初戦は抜きつ抜かれつの接戦で、相手にリードされる場面では「引退」の文字が頭をよぎったという。重圧をはねのけて勝ち切ったことで「チームとしても成長できた」と浅野さんは語る。
決勝進出の目標を達成するため、チームが磨いたのはオフェンスとディフェンスの選手がにらみ合う「1 on 1(1対1)」。毎日の部活動の練習に、1対1を想定したメニューを組み込んだ。また、各ポジションのリーダーを中心に、何度も新たな戦術を考えては取り入れた。浅野さんの前の代のチームは個人の技術レベルが高かったが、決勝には進めなかったという。それに比べて個人のレベルがあまり高くない新チームで、前の代と同じことをやっていても決勝には進めないと考えた。新戦術の試行錯誤を繰り返して、チームとしてのプレーを高めていった。
また、浅野さん自身は主将として一つ一つのプレーに全力を尽くしてチームを引っ張った。部員のいいプレーを褒めることも意識した。それは「いい雰囲気の中で練習できないと、いいプレーは生まれない」との考えからだという。
決勝進出への道のりは決して平らではなかった。浅野さんは主将就任後初めての試合で全治半年のけがを負った。「どうしよう、終わった」。どん底に突き落とされたようだった。だが、気持ちをすぐに切り替えた。プレーできないもどかしさを抱えながらも少しでも早く復帰できるよう、リハビリやウエートトレーニングに力を入れた。「気持ちが折れている暇はなかった」と当時を振り返る。
決勝では過去4度優勝し、連覇を狙う早稲田大に1-6で敗れた。本学の1点は試合終盤、浅野さんが決めたものだ。その時の気持ちは複雑だったという。ディフェンスが相手に抜かれないように頑張っていたのに、自分を含むオフェンスが攻め切れていないと感じていたためだ。点を入れた時の会場の盛り上がりの大きさには「うれしかった」と笑顔を見せた浅野さん。一方で、「一矢報いたと言えるが、逆に言えばそれまで1点も取れなかったということ。もっと早く点を入れたかった」と悔しさもにじませた。
それでも後悔はない、と浅野さんは言い切る。試合を勝ち進むことが、自分の選択の正しさを裏付けてきたという。後悔がないのは「準決勝で勝ち、正しいことをやってきたと分かったから」だ。
大学日本一の座には届かなかったが、収穫も得た。それは毎日練習を重ねた1対1が王者・早稲田大に通用すると分かったことだ。多くの部員が「1対1では自分たちの方が強かった」との感触を得たという。浅野さんも「もちろん相手は強かったが、思ったほどではなかった」と語る。
「王者の壁は高かったが、通用したところもある」と浅野さんは前向きだ。新体制で主力となる3年生は入部当時から全国制覇を目指している。その後輩たちに対し、決勝戦を終えた後のロッカールームで浅野さんは「準決勝で勝つための練習をしていては優勝できない。決勝を見据え、より高いレベルの練習を」とエールを送ったという。それは今回決勝の舞台を経験して成長したチームについて、こう感じたからだ。
「今年は優勝できる」
準決勝はヤンマーフィールド長居(大阪市)を舞台に、強豪・関西学院大と戦った。プレーヤー一人ひとりが目の前のことに集中し、自分の役割に徹することで、本学が終始優位を保つ試合展開となった。「点を入れられた時に相手よりも声を出す」ことでアウェーの空気を乗り切り、初めて決勝への切符を手にした。「勝つと思っていたのは本学の関係者だけだったのではないか」と浅野さん。「(関西学院大が勝つという)『当たり前』を覆せた。だから、やってやったという気持ちだった」。
男子ラクロス部は同大会で決勝に進むことを目標に掲げていた。そのため、準決勝までに負けることができないというプレッシャーの中で大会を戦った。北海道大との初戦は抜きつ抜かれつの接戦で、相手にリードされる場面では「引退」の文字が頭をよぎったという。重圧をはねのけて勝ち切ったことで「チームとしても成長できた」と浅野さんは語る。
決勝進出の目標を達成するため、チームが磨いたのはオフェンスとディフェンスの選手がにらみ合う「1 on 1(1対1)」。毎日の部活動の練習に、1対1を想定したメニューを組み込んだ。また、各ポジションのリーダーを中心に、何度も新たな戦術を考えては取り入れた。浅野さんの前の代のチームは個人の技術レベルが高かったが、決勝には進めなかったという。それに比べて個人のレベルがあまり高くない新チームで、前の代と同じことをやっていても決勝には進めないと考えた。新戦術の試行錯誤を繰り返して、チームとしてのプレーを高めていった。
また、浅野さん自身は主将として一つ一つのプレーに全力を尽くしてチームを引っ張った。部員のいいプレーを褒めることも意識した。それは「いい雰囲気の中で練習できないと、いいプレーは生まれない」との考えからだという。
決勝進出への道のりは決して平らではなかった。浅野さんは主将就任後初めての試合で全治半年のけがを負った。「どうしよう、終わった」。どん底に突き落とされたようだった。だが、気持ちをすぐに切り替えた。プレーできないもどかしさを抱えながらも少しでも早く復帰できるよう、リハビリやウエートトレーニングに力を入れた。「気持ちが折れている暇はなかった」と当時を振り返る。
決勝では過去4度優勝し、連覇を狙う早稲田大に1-6で敗れた。本学の1点は試合終盤、浅野さんが決めたものだ。その時の気持ちは複雑だったという。ディフェンスが相手に抜かれないように頑張っていたのに、自分を含むオフェンスが攻め切れていないと感じていたためだ。点を入れた時の会場の盛り上がりの大きさには「うれしかった」と笑顔を見せた浅野さん。一方で、「一矢報いたと言えるが、逆に言えばそれまで1点も取れなかったということ。もっと早く点を入れたかった」と悔しさもにじませた。
それでも後悔はない、と浅野さんは言い切る。試合を勝ち進むことが、自分の選択の正しさを裏付けてきたという。後悔がないのは「準決勝で勝ち、正しいことをやってきたと分かったから」だ。
大学日本一の座には届かなかったが、収穫も得た。それは毎日練習を重ねた1対1が王者・早稲田大に通用すると分かったことだ。多くの部員が「1対1では自分たちの方が強かった」との感触を得たという。浅野さんも「もちろん相手は強かったが、思ったほどではなかった」と語る。
「王者の壁は高かったが、通用したところもある」と浅野さんは前向きだ。新体制で主力となる3年生は入部当時から全国制覇を目指している。その後輩たちに対し、決勝戦を終えた後のロッカールームで浅野さんは「準決勝で勝つための練習をしていては優勝できない。決勝を見据え、より高いレベルの練習を」とエールを送ったという。それは今回決勝の舞台を経験して成長したチームについて、こう感じたからだ。
「今年は優勝できる」