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【とんぺー生の夏休み2020】最優秀賞『幽霊の足跡』磯崎 良

  学友会報道部は先月23日、「『とんぺー生の夏休み』作文コンクール2020」の選考会を行い、最優秀賞に磯崎良さんの『幽霊の足跡』を選んだ。磯崎さんは昨年に続いて2年連続の受賞となった。優秀賞は橋本京さんの『美しさのゆくえ』。


 『幽霊の足跡』は、主人公が「足跡だけの幽霊」と出会い、互いの人格を再発見するという不思議な体験を描く。最優秀賞に輝いた磯崎さんは「すごくありがたいことだ」と喜びを語った。


 『美しさのゆくえ』は仙台七夕まつりを舞台に、女子大学生の揺れる心境を描いた作品。優秀賞の橋本さんは「(作品を)いろんな人に読んでほしい」とコメントした。


 昨年に続いて2回目の実施となった本コンクール。今年は小説・エッセイ部門のみを設け、「夏」をテーマに、先月20日まで作品を募集した。選考会は部員9人が参加し、作品の感想を出し合いながら進めた。作者の名前は伏せたまま選考した。


 副賞として磯崎さんに図書カード5千円分、橋本さんに同2千円分が贈られる。応募総数は賞に選ばれた2点だった。作品を応募してくれた2人に御礼申し上げる。


◇ ◇ ◇


最優秀賞作品 『幽霊の足跡』磯崎 良

 ホテルを出て僕はビーチに向かっていた。空気は鏡のような月に冷やされて冴えている。それはまるで少しだけ開いた窓から吹き込んでくる風のような、秋にも似た晩夏の夜だった。

 やがて靴に伝わる感触が柔らかく包み込むようになり、一歩ごとにざくざくと足音が響くようになった。雲ひとつない夜空で、空の隅から隅までが月光に照らされていた。その下では淀みない濃紺の海が、光の溶けた海面をざわざわ揺るがせている。一般的に言ってとても詩的な光景だった。僕は波打ち際まで寄っていき、適当なところで腰を下ろした。海風が潮の匂いと波の音とを運んできては過ぎ去っていった。はじめは半袖が少し肌寒くも感じたがそのうち慣れた。僕はじっと海を眺めていた。波の音、ゆく浜風、揺れる海面……僕は大学の長期休暇を利用して、ふらりと一人旅に出ていた。波の音、ゆく浜風、揺れる海面……繰り返しだ。繰り返しだ……

 そのときびくりと背筋が伸びた。背後から砂を踏む音が聞こえたのだ。ざく……ざく……こちらに向かってきている……

 時は真夜中だった。僕は完全にこの砂浜を独占できる見積もりで来ていた。僕は振り向くべきだろうか? 相手もまた夜の海を眺めるべくこの砂浜へ降りてきたのだろうか。しかしそれではわざわざ僕のもとへ向かってきているのはなぜだろう。一期一会の出会いを求める種の人間なのだろうか。あるいは何らかの意図のもとに僕を狙っているのか?

 僕は動けなかった。同じ動きを絶えず繰り返すこの砂浜で、僕はひとり動けずにいた……波の音、ゆく浜風、揺れる海面……足音足音……砂を踏む音……

 足音が止んだ。最後の音は僕の斜め後ろから聞こえた。そこから何の動きもない。僕はもはやそうするしかないと思い、こわごわ後ろを振り向いた。なるべく自然に……何でもない調子で……しかしそこには誰もいなかった。

 ただ足跡だけがあった。もちろん僕の真後ろには僕の足跡が伸びていた。しかしそれとは別に、さまようように蛇行した後、明らかに僕を目的地として連々と続いてきた足跡があった。その足跡は誰かの足跡としか言いようがなかった。なんの特徴もないのだ。形も大きさもあるいは歩幅も、男女や大人子どもといった特定のカテゴリーには分類しきれない曖昧なものだった。それは足跡と言われて思い浮かべるような完全な足跡だった。

 そして誰もいなかった。

「お隣、よろしいですか?」

 足跡の主は僕に訊ねた。僕は頷いた。本を読むとき頭の中に響いているような声だった。


 僕たちは並んで腰を下ろし、ただじっと海を眺めていた――もちろん足跡の主については、姿が見えないので僕の想像でしかない。

 僕は今自分の横にいるのが何者なのか考えていた。姿が見えず、足跡だけが残っている。思うにこれは透明人間というものだろうか?

「申し遅れました。私は幽霊です。足跡だけの幽霊です」

 足跡だけの幽霊?

「それは透明人間とは違うんですか?」

「違うんじゃないでしょうか。私は透明人間に会ったことはないので、詳しいことはわからないのですが」

 その点については僕も同じだった。

「しかし、足跡だけの幽霊だなんて聞いたこともないですよ」

「それは私も同じです。実際、私は私以外の幽霊に会ったことはありません」

「ではどうしてあなたは自分が幽霊だと言えるんでしょう」

「実はそれもわからないんです。ただ、私は人間とは確実に違っていて、なおかつ足跡が残る以外は幽霊とよく似ているものですから、便宜上幽霊を名乗っているんです。いわばこの幽霊は自称なんです」

 僕はその話を聞いて、この人の存在はその足跡のように曖昧なものらしいと感じた。きっとこれ以上相手について質問しても、それは闇の中で地面に穴を掘るようなものだと思ったので、僕は再び沈黙した。

「次にあなたのことを伺ってもよろしいでしょうか?」

 僕は頷いた。幽霊はあれこれと訊ねてきた。名前や出身や年齢……趣味……僕という人間……僕は答えてもいい範囲で答えた。僕が話を打ち切れば、幽霊も執拗にその後を追いかけることはしなかった。

「あなたにはどこかお人好しなところがあるように感じます」

 不意に幽霊はそう言った。僕は今までそんなことを言われた試しがなかったので驚いた。

「そして自分と相手との間に、一種の垣根を設ける習慣がある気もします。自分からその垣根を越える事はしません。しかし、相手がその垣根を乗り越えようとしているのを見ると、表面的には拒みつつも――これは心の表面ということですが――、どうにもそれを助けずにはいられず、そして実はそのことが嬉しくてならないというような……あなたにはそんなところがあるように思います」

 僕は幽霊の言ったことについて考えてみた。僕は自分がそのような人間だと、少なくとも自覚はしていなかった。しかし言われてみれば、それは少なからず的を射ている気もする。

「そうかもしれないですね」僕は言った。「そういうところがあるかもしれない」

「もう少し話を聞かせてくださいませんか」幽霊は言った。「人と会うのは久々なんです」

 僕は語りはじめた。僕の思想、僕の経歴、僕という人間、僕について……僕は自分を月明かりの下に晒し続けた。語るごとに幽霊は、僕という人間についての分析や所見を幽霊なりに述べてくれた。他者の目に映る自分の姿に、僕は幾度となく驚かされた。それはまるで僕の中に埋まっていながら僕の知らない、未知なる僕を掘り当ててくれるかのようだった。

 僕が語り終えたとき、波打ち際はわずかばかり僕たちから遠ざかっていた。幽霊は礼を言った。しばらくぶりに沈黙が降りて、ふと幽霊はため息をついた。

「どうしたんです?」

 僕が訊ねると、幽霊はしずしずと答えた。

「私は時々、自分が人間だったらということを想像してみます。しかし私には、人間になった私というのが上手く想像できないのです。空想の中でさえ私は、明確な姿形を得ることが叶わないのです」

 その特徴のない声には哀切な響きがあった。僕は先程まで饒舌に語っていた手前、幽霊のことがいたたまれなくなってしまった。そのとき僕の頭の中に閃くものがあった。

「ではここで、あなたという人間を一緒に作ってみるのはどうでしょう」

「どういうことですか?」

「僕はさっきまで、僕のことをあれこれ喋ってきました。そしてあなたは僕について、あなたなりの分析を述べてくれました。だから今度はその逆をやるんです。容姿や性格について、お互い話し合いながらあなたのイメージを作っていくんです」

 幽霊は僕の言ったことを噛み砕いているようだった。しばし間が空き、「ああ!」と幽霊は納得のいった声で僕の提案に同意した。

 それから僕は、幽霊と話していての印象を話しはじめた。好奇心が強く……社交的で……論理的で……人間の体があるとすれば、その顔には幼さが残っており……小柄で……


 話はまとまった。そこには架空の人間がひとりできあがっていた。あとは幽霊が、そのイメージに自分を重ねればいいだけだった。

「あなたはこれからどうするんですか?」

 僕は幽霊に訊ねた。すると幽霊はしばらくこの砂浜にいると答えた。

「砂浜って足跡が残るでしょう? それを見ると安心するんです。砂浜を出たらアスファルトやコンクリートで、足跡が残らないじゃありませんか。すると私は、自分が迷子になってしまったような気がするんです。自分がどこにいるのかわからなくなって、本当に自分がここにいるのか自信が持てなくなってしまうんです。でも砂浜には足跡がつきますから、不安にならないで済むんです」

 僕はそれを聞き、一度断りを入れてホテルの部屋へ戻った。そして今履いているサンダルとは別の外靴を持ってきて、幽霊の側に置いた。

「この靴を履いていれば、迷子にならずに済みますよ」

「ありがとう」幽霊ははにかむように言った。「でもこの靴を履いて歩いているところ、誰かに見られちゃいけませんね。私の場合、人目には靴しか映らないでしょうから」

 そして僕は幽霊と別れた。

 僕は翌日、帰りのバスをサンダルで乗った。誰も僕の足元に気づかないようにと念じていた。これには事情があるのであって、僕は平生から普段着にサンダルで歩き回る人間ではないのだ。ましてやこれは旅行用のバスなのだから。


 授業が始まった。ある講義でグループが組まれ、そこで僕は彼と知り合った。彼は好奇心が強く社交的で、ある物事について自分なりの見解を述べるのが好きだった。彼はよく僕に声をかけた。僕はあくまで一定の距離を保とうと心がけていたが、それでもそんな風に気にかけてもらえるのは満更でもなかった。

 そして僕は気づいたのだった。彼の普段履いている靴が、あのとき僕が幽霊に贈ったものと極めて類似していることに。


 僕はある日、意を決して切り出してみることにした。なるべく自然に……何でもない調子で……

「そういえば僕は、この夏旅行先で不思議な体験をしてね。足跡だけの幽霊の話なんだけど……」

 そのとき彼は明らかに動揺し、さっと顔色が青ざめた。その様に僕も驚いて、ただ様子を伺うしかできなかった。

「それについて、詳しく聞かせてほしい……」

 彼の頼み通り、僕はあの夜のことを語って聞かせた。僕が語り終えてから、彼は震える唇で細々と言った。

「俺もこの夏……そんな幽霊と海で出会って……そんなことを話した……」

 彼は続けた。

「俺たちが作ったのは……人との間に壁……垣根みたいなを作りがちだけど……お人好しで……表面、心の表面では……」

「もういい」

 僕は制した。膝が震えてふらついて、そのとき僕ははっとして屈みこんだ。ズボンの裾をまくり靴下をずり下げた。そこにはいかにも頼りない足首があった。ああ僕はこの足で、今後幾度と靴を替えつつ歩いていくんだと誰かが言った。

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