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人生は最高のゲーム 〜俯瞰の目で自他を見つめる〜

 皆さんは「ゲーム」というと何を思い浮かべるだろうか。Apex? マリオ? それとも花札? なるほど、確かにこれらはれっきとしたゲームだ。では、最もやりがいのあるゲームといえば? これは間違いなく「人生」だ。攻略本はなく、指一本だけ動かしても結末は変わる。ただし、リセットやセーブが不可なのはご愛嬌。



 幼い頃はチュートリアルで、ここでキャラクター設定が行われる。先天的な特性は変えられないし、特に幼少期の人格形成は周りに大きく影響されるため、操作キャラが固定されているとも考えられる。これを理不尽だと感じる人もいるだろう。「人生はクソゲー」ポイントその1である。


 ところで、皆さんは自分の才能を正しく把握しているだろうか。最近は遺伝子検査で能力を測る試みもなされているようだが、未だ完全な把握は難しい。そのため、自分の真価が発揮されるかどうかはやってみないと分からない。好きなことで才能が開花したり、嫌いなことが得意だったりするわけだ。これは人生のクソゲー要素でもお楽しみ要素でもあるのだろう。できればチュートリアルのうちにある程度自らの特性を知っておくべきだ。得意なことはさらに磨くと役に立つ。反対に苦手なことをカバーする努力をしないと後々苦労する。RPG等ではパーティーを組んで互いの弱点を補いあうこともあるが、残念ながら「人生」では他者はあくまでサポーター程度。ソロプレイと考えた方が現実的だ。できるだけ弱点を潰さないと他者に付け入られかねない。競争社会ではなおさらだ。


 さて先程他者はサポーター程度であると述べたが、これはある意味で間違いである。なぜなら自分と他者の関係性によって心強い味方やライバルにも、足を引っ張ってくる敵にもなるからだ。そのため、なるべく他者とは良好な関係を築くべきだ。積極的に他人と交流し、困っている人を助け、時には相談に乗り、一緒に笑いあったり悲しんだりするとよい。それが例え打算的なものであったとしても、人を蔑んだり貶めたりするより遥かにいい。他者への行いは得てして自分に返ってくる。己の言動には細心の注意を払うべし。このようにして得られた友人や人脈はかけがえのないものだ。これの有るなしでその後の人生の難易度が大きく違う。


 最後に運について。運は時に人生を大きく変える。悪い方に転がることもあるし、反対に信じられない奇跡をもたらすこともある。自分の意志ではどうしようもない要素が運であり、クソゲーポイントなのかもしれないが、普段から徳を積んでいれば良い方へ働くことが多くなるかも……。


 結局、何が言いたいかというと、人生はゲームだと思う方が気軽に生きられるのかもしれないということだ。理不尽な目にあっても、失敗ばかりしても、しょせんはゲームだと考えればダメージは少ない。もし、目の前が真っ暗になるようなことが起こり、どうしようもないように思われたとき、まずは主観的視点から離れてみよう。クソゲーオブザイヤー入賞作品でもない限りゲームは詰まないだろう。「自分」というゲームキャラに入り込むのをやめ、俯瞰してみると、暗闇のデバフ(能力低下)が付与されているだけで、実は何か打開策や助けが存在すると分かる。余程の失態をしなければ、充分に挽回はできる。それを伝えたいがために「人生はゲームだ」と長々と述べたわけだ。


 私は高々20年余りの人生しか歩んでいない初心者プレーヤーであるが人生を辛く苦しいものではなく、明るく愉快なものとして捉える方法の一つとして「人生はゲーム」と考えることをおすすめしたい。 


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