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【書評】白夜行 東野圭吾

 罪を共有した男女が生きるのは太陽の当たらない世界だった。今回紹介するのは東野圭吾著『白夜行』。ある事件の被害者の息子である桐原亮司と容疑者の娘である西本雪穂が歩む 人生を描いた作品だ。なお、ここからは物語の内容に触れることをご容赦願いたい。



 


 1973年、大阪で質屋を営む桐原洋介が殺害された。決定的な証拠がないまま捜査は難航。容疑者の1人である西本文代が事故死したところで事件は迷宮入りしてしまう。しかし刑事の笹垣だけは洋介の息子・亮司と文代の娘・雪穂を疑い続けていた。



 その後数年が経ち、亮司は持ち前の頭の良さとコンピュータの知識を生かして裏稼業を営んでいた。一方、雪穂は親戚に引き取られ、教養を身につけた美女として周りからの羨望の的となっていた。一見別の道を進む2人だったが、彼らの周りではいつも不可解な事件が起きる。カードの偽造、女性への暴行、殺人……。しかしどの事件も決定打がなく、多くは未解決のまま時間だけが過ぎていく。その中でたった1人、独自に捜査を進める笹垣の姿があった。



 冒頭の事件から19年が経過しながらも執念の捜査を続けた笹垣は、ようやく真実に近づいていた。最初の事件の真相は何なのか、2人はその後の数々の事件で何をしたのか、2人はどのような関係で結ばれているのか。その答えはあまりにも痛ましいものだった。



 この作品は著者の巧妙な筆致が際立つ作品である。まず、2人は人生の中で、表立った関わりを持つことがない。そして、この物語は主人公の心理描写が排除され、周りの視点でしか彼らの行動がわからない叙述のような形式で描かれている。つまり、亮司と雪穂の行動のうち片方しか知らない登場人物達には事件の真相がわからない。両者の行動を知っている読者だけが数々の事件で協力しあう2人の関係に気づける構造となっている。



 読者にとって、心情を吐露することなく残忍な所業を繰り返す2人はきっと冷酷無比な犯罪者に映るだろう。しかし、雪穂は物語の中で「あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから」と話す。雪穂にとって「太陽に代わるもの」が誰を指しているのかというのは明白だ。誰からも見えない2人の関係性がうかがえる唯一の言葉である。たとえ許されざる関係だとしても、彼らの間にあるのを絆と呼ぶことはできないだろうか。



 罪を犯した少年と少女の恐ろしくも切ない物語。2人の最後はぜひ自分の目で見届けてほしい。

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