【連載】一読三嘆 ②経済学研究科 守健二教授 推薦 『ホモ・ファーバー』マックス・フリッシュ
大学生の読書の時間が減る今、そのきっかけを与える本を学問のスペシャリストである本学教員が紹介する企画、「一読三嘆」。今回は経済学研究科の守健二教授が、マックス・フリッシュの小説『ホモ・ファーバー』を紹介する。
合理性が自壊していく話が好きだ。一口に「合理性」と言っても、今回の合理性の持ち主は工学系の人間、「ホモ・ファーバー」。元々は、道具を駆使して新しい物を製作する人のことを言うらしいが、技術的合理性の信奉者はこう呼ばれる。
スイスの作家マックス・フリッシュの小説『ホモ・ファーバー』の主人公、「ヴァルター・ファーバー」氏は、ユネスコの土木事業を指導するエンジニアで、徹底した世界観を持つ。観察可能な物以外の存在は認めないし、確率計算以外の説明は信用しない。自然は利用、操作するために存在するものだし、人間の感情や芸術は理解しない。肉眼は信用せずレンズを通して世界を見、手書きを忌み嫌い、文字はすべてタイプライターで書く。この徹頭徹尾「合理的」なファーバー氏が、頭ではすべてを制御しているつもりで生活しながら、やがて、自分の「血」に導かれるかのように、人類の最も原始的とも言うべき非合理を犯してしまう。
この本は1957年にドイツ語で出版されて以来、独語圏では「国語」の教材として読み継がれ、恐らく独語圏の人たちで知らぬ人はいない、というくらいの名著である。各国語に翻訳され、『アテネに死す』と題した日本語訳もあり、1991年には映画化もされている。
ところで、30年くらい前に初めて読んで以来、ずっと不思議に思っていることがある。本小説の主人公の元恋人「ハンナ・ピーパー」には、実在するあの高名な哲学者、「ハンナ・アーレント」と共通点があり過ぎるのだ。もちろん名前だけではない。2人とも、ほぼ同年代、ユダヤ系で、パリを経て1941年に亡命、2度結婚をして、2人目は共産主義者。2人とも古代ギリシャの研究をし、ホモ・ファーバーの「世界喪失性」を批判する。しかし、何よりも重大な関連性は小説のタイトルにある。「ホモ・ファーバー」とは、アーレントの代表作『人間の条件』の主要概念である。しかし、『人間の条件』が書かれたのは、この小説『ホモ・ファーバー』の1年後の1958年だというのだ。これらの符合が単なる偶然ではないとすれば、作家フリッシュと思想家アーレントとの間にどんな接点があったのか。謎は深まるばかりである。