【ネタ記事】山本昌投手引退記念企画 ~30年の歴史 パワプロで追う~
https://ton-press.blogspot.com/2016/01/30.html
9月25日、プロ野球界に衝撃的なニュースが走った。山本昌投手(50)、引退――。中日ドラゴンズで最年長記録を更新し続けた200勝左腕は、来シーズンのマウンドにはいないのだ。その事実をいまだに受け入れられない筆者は、山本昌の栄光の歴史を追体験することを試みた。そう、バーチャルの世界で――。
今回の舞台は「実況パワフルプロ野球」(以下パワプロ)。1994年より発売されている野球ゲームシリーズだ。現在に至るまで20作品以上が発売されているが、山本昌は全てのシリーズに登場している。
今回のネタ記事の目的は「パワプロの世界で山本昌を勝利投手にすること」だ。幸い、我が報道部にはほとんどのパワプロシリーズが揃っている。それらを発売年が古い順にプレイしていく。ルールとして、①山本昌は最低5回以上投げなければいけない②ゲームの難易度は最高の「パワフル」③一つのタイトルで対戦相手に勝利するまで次に進めない④相手は阪神タイガース、この四つを取り決めた。
最初にプレイするのは1995年に発売された「パワプロ3」。年季の入ったスーパーファミコンを何とか起動し、筆者の長い戦いがスタートした。
スターティングメンバーには20年前の名選手たちがズラリ。ウキウキしながらゲームをプレイしていく筆者であったが、操作性が現在のパワプロとは全く異なるため慣れるのに時間がかかった。5試合目あたりで守備には慣れたが、いかんせん打つことができない。5回まで山本昌が0点に抑えても、1点も取れない試合が続いた。
その均衡が破れたのは17試合目。山本昌の代名詞スクリューボールが冴えわたり、7回を1失点の好投。3点差で中日がリードしている。守備には自信がある。この点差を守り切るのは容易い。筆者が勝利を確信し、大きく伸びをしたのも束の間、足がカセットに触れ、「ブチッ」と音がしたかと思うと、テレビが真っ暗になった。対して筆者の頭は真っ白である。「あああああ」という叫び声が部室に響いた。
もちろんこれで諦めるわけにはいかない。その後もあと一歩の試合が続いた。そして決死の覚悟で挑んだ22試合目、ついに4―3で辛勝した。そのときの筆者の喜びといったら言葉では言い尽くせない。しかし勝利の舞を舞っている筆者の目に飛び込んできたのは、山積みにされたパワプロ。まだこの企画、終わったわけではないのだ。
その後舞台はニンテンドウ64、ゲームキューブ、プレーステーション2へと移っていくが、山本昌の能力は全く衰えを見せない。筆者がプレイしたことのあるシリーズが増えてきたこともあり、最初の頃の苦労が嘘のようにサクサクとクリアしていった。
舞台はついに「パワプロ2012」へ突入。部室にある最後のパワプロだ。この年になると流石の山本昌にも衰えが見え始める。5回を投げ切れるかどうかのスタミナ、以前より曲がらないスクリュー。うまく定まらないコントロール。その全てが筆者を悲しくさせた。4回まではなんとか抑えられる。しかし5回になるとスタミナが尽き大量失点してしまう。何度やっても山本昌に勝利をさせてやれない。不甲斐なさだけが残った。その後も敗北を重ね、筆者が諦めかけたその時、かつて対戦した阪神の強打者たちの名前が頭に浮かび上がってきた。新庄、桧山、金本、今岡……。筆者は忘れていた。山本昌は彼らに投げ勝ってきたのだ。そして彼らが引退してからもマウンドに立って、30年間ボールを投げ続けてきたのだ。その事実が筆者を奮い立たせた。心なしか画面の山本昌の目も力強く感じた。もう恐れるものはない。筆者は再びコントローラーを握った。そして13試合目、九回表。阪神の4番新井良太のバットは空を切った。スコアは11―9。勝利投手、山本昌――。
今回のネタ記事に要した試合数は65試合にのぼった。疲労感があるのはもちろんだが、清々しい気持ちのほうが強い。なぜなら山本昌は筆者に諦めない心、そして継続することの大切さを教えてくれたからだ。筆者は確かな成長を実感しながら、ゲームの電源を切った。
今回の舞台は「実況パワフルプロ野球」(以下パワプロ)。1994年より発売されている野球ゲームシリーズだ。現在に至るまで20作品以上が発売されているが、山本昌は全てのシリーズに登場している。
今回のネタ記事の目的は「パワプロの世界で山本昌を勝利投手にすること」だ。幸い、我が報道部にはほとんどのパワプロシリーズが揃っている。それらを発売年が古い順にプレイしていく。ルールとして、①山本昌は最低5回以上投げなければいけない②ゲームの難易度は最高の「パワフル」③一つのタイトルで対戦相手に勝利するまで次に進めない④相手は阪神タイガース、この四つを取り決めた。
最初にプレイするのは1995年に発売された「パワプロ3」。年季の入ったスーパーファミコンを何とか起動し、筆者の長い戦いがスタートした。
スターティングメンバーには20年前の名選手たちがズラリ。ウキウキしながらゲームをプレイしていく筆者であったが、操作性が現在のパワプロとは全く異なるため慣れるのに時間がかかった。5試合目あたりで守備には慣れたが、いかんせん打つことができない。5回まで山本昌が0点に抑えても、1点も取れない試合が続いた。
その均衡が破れたのは17試合目。山本昌の代名詞スクリューボールが冴えわたり、7回を1失点の好投。3点差で中日がリードしている。守備には自信がある。この点差を守り切るのは容易い。筆者が勝利を確信し、大きく伸びをしたのも束の間、足がカセットに触れ、「ブチッ」と音がしたかと思うと、テレビが真っ暗になった。対して筆者の頭は真っ白である。「あああああ」という叫び声が部室に響いた。
もちろんこれで諦めるわけにはいかない。その後もあと一歩の試合が続いた。そして決死の覚悟で挑んだ22試合目、ついに4―3で辛勝した。そのときの筆者の喜びといったら言葉では言い尽くせない。しかし勝利の舞を舞っている筆者の目に飛び込んできたのは、山積みにされたパワプロ。まだこの企画、終わったわけではないのだ。
その後舞台はニンテンドウ64、ゲームキューブ、プレーステーション2へと移っていくが、山本昌の能力は全く衰えを見せない。筆者がプレイしたことのあるシリーズが増えてきたこともあり、最初の頃の苦労が嘘のようにサクサクとクリアしていった。
舞台はついに「パワプロ2012」へ突入。部室にある最後のパワプロだ。この年になると流石の山本昌にも衰えが見え始める。5回を投げ切れるかどうかのスタミナ、以前より曲がらないスクリュー。うまく定まらないコントロール。その全てが筆者を悲しくさせた。4回まではなんとか抑えられる。しかし5回になるとスタミナが尽き大量失点してしまう。何度やっても山本昌に勝利をさせてやれない。不甲斐なさだけが残った。その後も敗北を重ね、筆者が諦めかけたその時、かつて対戦した阪神の強打者たちの名前が頭に浮かび上がってきた。新庄、桧山、金本、今岡……。筆者は忘れていた。山本昌は彼らに投げ勝ってきたのだ。そして彼らが引退してからもマウンドに立って、30年間ボールを投げ続けてきたのだ。その事実が筆者を奮い立たせた。心なしか画面の山本昌の目も力強く感じた。もう恐れるものはない。筆者は再びコントローラーを握った。そして13試合目、九回表。阪神の4番新井良太のバットは空を切った。スコアは11―9。勝利投手、山本昌――。
今回のネタ記事に要した試合数は65試合にのぼった。疲労感があるのはもちろんだが、清々しい気持ちのほうが強い。なぜなら山本昌は筆者に諦めない心、そして継続することの大切さを教えてくれたからだ。筆者は確かな成長を実感しながら、ゲームの電源を切った。